東宇治高校を経て、京都産業大学へ進む。同大学卒業後の1989年、三菱自動車工業京都(後の三菱自動車京都レッドエボリューションズ)に加入。そして同年、「田倉はスクラムが強く、安定している」と、日本代表監督に就任したばかりの宿澤広朗の目にとまり[1]、28-24で勝利した、同年5月28日のスコットランド戦に起用され、ひいてはこれが初のキャップ獲得試合となった。以後、『宿澤ジャパン』時代にはの不動の右プロップとして君臨し、通算16キャップを獲得。また1991年及び1995年のラグビーワールドカップにも出場した。