田口富久治
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秋田県出身[2][3]。1953年、東京大学法学部卒業[2][3]。明治大学政経学部教授を経て、1975年から名古屋大学法学部教授[3]。1994年-2001年、立命館大学政策科学部教授[2][3]。
田口は、丸山真男に代表される近代主義的政治理論のマルクス主義による内在的な批判を意図。日本共産党の党員であったが、ユーロコミュニズムの立場に近づき、『先進国革命と多元的社会主義』をめぐって不破哲三との間に論争を繰り広げた。論争の結果、田口は日本共産党中央委員会付属社会科学研究所での自己批判に追い込まれた。名古屋大学での最終講義では「私はMarxistではなくMarxianだ」との趣旨の発言を行った。1994年共産党による丸山眞男批判の大キャンペーンを厳しく批判し、離党届を出し、離党、丸山に近い立場をとるようになる。さらに、その後、C・B・マクファーソン、アンソニー・ギデンズを高く評価・紹介し、その影響を受けていることを公言している[要出典]。
また「矢留一太郎」というペンネームで高坂正堯への批判も行った。