町田義一
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競馬学校4期生として内田浩一・岡潤一郎・菊沢隆徳・岸滋彦・千田輝彦・藤原英幸・横田雅博と同期[2]になるが、1989年3月に美浦・田中和夫厩舎からデビュー。
5期生の小野次郎・小池隆生・佐伯清久・佐藤哲三・高橋明・田中勝春・角田晃一・水流添久・山田泰誠と同じデビューになり、1年目の1989年は3月4日の中山第3競走4歳未勝利・スイートルーシー(16頭中15着)で初騎乗を果たす[3] [1]。4月1日の中山第3競走4歳未勝利・バーミヤーンで初勝利を挙げ[3] [1]、同22日の東京第5競走障害4歳以上未勝利・ケンビューティ(9頭中3着)で障害初騎乗[4]を果たし、初年度は5勝[5]であった。
2年目の1990年には1月27日・28日の東京で初の2日連続勝利[6]を記録したほか、中山牝馬ステークス・モリキサキで重賞初騎乗を果たし、14頭中14番人気ながら8着と1桁着順を確保[7]。6月9日の東京第6競走4歳未勝利ではシャダイアイバーを母に持ち、後にエアジハードの母となるアイシーゴーグルで勝利するが、後にダートでの2勝を加えて3勝とするアイシーゴーグルにとって唯一の芝での勝利となった[8]。9月9日の中山で初の1日2勝[9]を挙げるなど、自身唯一の2桁勝利で自己最多の22勝[5]をマーク。
1992年8月1日の新潟第11競走北陸ステークス・ブレンドエレッセで初の特別と初のメイン勝ち[10] [11]を挙げ、最終第12競走4歳以上500万下では18頭中16番人気のオギハーモニーで11番人気ブランドパンドラの2着に入って馬連111,170 円[12]の波乱を起こす。
1998年9月26日の札幌第1競走4歳未勝利を単勝1.3倍の1番人気マイネルジェントルで逃げ切って50勝目[10]を挙げたのが最後の騎乗[13]となり、同年10月31日付で現役を引退[1] [14]。