山田泰誠
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1989年に栗東・田中良平厩舎からデビューした。同期には田中勝春・角田晃一・佐藤哲三などがいる。1年目の同年は3月4日の阪神第11競走うずしおステークス・ビューティフル(9頭中8着)で初騎乗を果たし、4月23日の新潟第6競走4歳以上400万下で12頭中10番人気のスリーノーブルに騎乗して初勝利を挙げる。初年度は6勝、2年目の1990年は初の2桁となる18勝をマークし、同年から2001年まで12年連続2桁勝利を記録。1990年は5月13日の福島で1日3勝、9月15日の函館と11月18日の京都では1日2勝を挙げる。
3年目の1991年は12勝とあまり目立った成績ではなかったが、1992年に台頭。アーリントンカップをエルカーサリバーで制し重賞初勝利を挙げると、メジロパーマーとのコンビでは新潟大賞典でシャコーグレイド・イクノディクタス・レッツゴーターキンを寄せ付けず逃げ切って重賞2勝目、宝塚記念ではカミノクレッセに3馬身差付けてGI初制覇。暮れの有馬記念では16頭中15番人気ながら再び逃げ切り勝ちし、同一年度グランプリ連覇を果たし一躍有名になった。
1993年は自己最高の25勝を挙げ、エルカーサリバーで年明けの金杯(西)→日経新春杯を連勝し、メジロパーマーでは阪神大賞典でタケノベルベット・ナイスネイチャを抑えて逃げ切る。天皇賞(春)でも逃げてライスシャワー・メジロマックイーンに次ぐ3着に奮闘、4着マチカネタンホイザには6馬身差付けていた。
その後は10勝台を維持するものの伸び悩み、1994年には師匠・田中の死去により、実子である田中章博厩舎に移籍。新潟大賞典ではゴールデンアワーに騎乗し、マーベラスクラウンをクビ差抑えて制す。1995年には安藤正敏厩舎に移籍し、1997年からは騎手(フリー)となる。2001年からは武邦彦厩舎に所属し、同年のCBC賞を3歳馬リキアイタイカンで制して7年ぶりの重賞勝利をマーク。2002年はデビュー以来の1桁となる6勝、2003年は4勝に終わる。8月3日の函館第2競走3歳未勝利・メジロロンサールが最後の勝利、10月11日の京都第10競走壬生特別・サウスラピッド(16頭中4着)が最後の騎乗となり、同31日付で現役を引退[1]。
引退後は武邦彦厩舎で調教助手[1]を務めていたが、武の定年引退による厩舎解散で2009年からは笹田和秀厩舎、2015年より西村真幸厩舎に所属。