畑繋神明神社
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畑繋堤の完成に尽力した酒井七左衛門(北方代官と川並奉行を兼任)[3][4]、畑繋堤を無願工事で行ったことで捕らわれ獄死した村役人(奥村元右衛門、渡辺藤左衛門、伊藤丹蔵、野田勘右衛門)を祭る[1][5]。
創建時期は不詳。元は天照大神を祭り、太神宮と称した。
文政二年(1819年)に酒井七左衛門が亡くなると、酒井は畑繋堤の恩人として羽栗郡門間村の慈眼寺に供養碑が建立され、その傍に獄死した4人の村役人の供養碑が建立される[6][4]。また、時期は不詳だが、畑繋堤には小祠が建てられ、酒井と4人の村役人を祭る[6]。
1908年(明治31年)に畑繋堤の小祠に祭られていた酒井七左衛門を、1903年(明治36年)に4人の村役人を合祀する[5]。