留守政府
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明治4年7月14日(1871年8月29日)に断行された廃藩置県の後始末が済まないうちに岩倉使節団の計画が持ち上がり、岩倉具視・大久保利通・木戸孝允ら明治政府を主導してきた首脳の多くが加わる一大使節団となったため、使節団の外遊中の留守を守るとともに廃藩置県の後始末を行うための組織として太政大臣三条実美を筆頭に西郷隆盛・井上馨・大隈重信・板垣退助・江藤新平・大木喬任らによって結成された。
使節団の出発前に各省大輔以上の政府高官が盟約書(「大臣・参議・大輔盟約書」)を結んだ。その第6条には「内地の事務は大使帰国の上で大いに改正するの目的なれば、其内可成丈新規の改正を要す可らず」として留守中に大規模な改革を行わないことを約する一方で、次の第7条には「廃藩置県の処置は内地事務の統一に帰せしむべき基なれば、条理を逐て順次其効を挙げ、改正の地歩をなさしむべし」として廃藩置県の後始末については速やかに行うように指示されていた。
使節団出発後、留守政府は学制・徴兵令・地租改正・太陽暦の採用・司法制度の整備・キリスト教弾圧の中止などの改革を積極的に行ったが、人事を巡る問題と西郷隆盛の遣韓問題を巡って留守政府と岩倉使節団の対立が激化して明治六年政変に至る事になった。