白地城
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歴史
建武2年(1335年)、田井荘(池田町)の荘官・近藤京帝がこの地に城を構える。郷名の大西の名を取り大西氏に改姓し、以来8代(240年余り)にわたって統治した[2]。
南北朝時代から戦国時代にかけては、白地城を中心とした一帯は大西氏が支配し、阿波の守護大名である細川氏、戦国時代にはその細川氏から実権を奪った三好氏に服属した。
天正5年(1577年)、四国統一を狙う長宗我部元親が、その地理的重要性に目をつけ攻略。時の城主大西覚養は讃岐国麻城へ落ち延びた[2]。『元親記』には元親の発言として「先づはこの大西さへ手に入り候へば阿讃伊予三ヶ国の辻にて何方へ取り出づべくも自由なりと満足し給ひけり」とある。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国攻めの際には長宗我部氏の防衛拠点として使われ、長宗我部氏が戦いに敗れて土佐へ退いた際に廃城となった。
廃城後、地域の拠点としての役割は、近くの大西城が持つこととなった。

