百犬図

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製作年寛政11年(1799年)
カタログA甲1719
種類絹本着色
『百犬図』
作者伊藤若冲
製作年寛政11年(1799年)
カタログA甲1719
種類絹本着色
寸法143 cm × 84.4 cm (56 in × 33.2 in)
所蔵京都国立博物館京都府京都市東山区
ウェブサイト京都国立博物館 名品紹介

百犬図』(ひゃっけんず)とは、江戸時代の画家伊藤若冲が最晩年の寛政11年(1799年)に制作した日本画である[1]。様々な仕草、表情、模様をした59匹の子犬を画面いっぱいに描写し、多産や子孫繁栄を祈念する吉祥画として仕上げている[2][3]。2019年に京都国立博物館が個人より購入し、所蔵している[3]

ひとつのモチーフを画面のなかに繰り返し描画するというスタイルは「百図」と呼ばれ、中国画のスタイルとして南宋の時代には確立されていたとみられる[4]。宋代の鄧椿撰の画論書『画継』には北宋の馬蕡という画家がさまざまな動物をモチーフに百雁図、百猿図、百馬図、百牛図、百羊図、百鹿図などを描いたという記録が残されている[4]。こうした構図は多産、豊穣などを寓意した吉祥画とみられ、犬をモチーフとして描いた本作品も、これに類する多産や子孫繁栄を祈念する吉祥画であったと考えられる[3]

作品

モチーフ

野原に遊ぶ子犬の群れを描いた珍しい図柄の作品である[5]。まるく肥えた子犬がじゃれあったり、喧嘩をしている様子がつぶさに描かれている[5]の形状は日本犬的な特徴を捉えているが、表情やまなざしは人間の子供のように表現されている[6]。また、毛色は茶、白、虎などの日本犬的特徴のもののほかに、斑のあるダルメシアンなどの特徴が認められるものもいる[注釈 1][6]。画題には「百犬」とあるが、実際に描かれているイヌは59匹である[2]

子犬を「狗子」(クシ)と呼称することから、「百狗子」(ひゃくくし)という語呂合わせにより、中国絵画の伝統的な画題である「百子図」に見立てた作品であるという説もある[7]。画面中央の子犬の毛並みには「笑」と読める模様が描かれており、所蔵元である京都国立博物館は、本作品が「一笑図[注釈 2]としての性質を併せ持っている可能性を指摘している[3]

落款と制作年

落款は左上に「米斗翁八十六歳画」とあり、その下に白文方印で「藤女鈞印」、朱文円印で「若冲居士」、右側中ほどに朱文長方印で「丹青活手妙通神」が記されている[7]。若冲は還暦を越えて天明の大火を経験して以降、落款に自分の年齢を記すようになったが、これが実態と異なっていると指摘されている[9]

美術史家の狩野博幸は、改元の度に自身の年齢を加算したのではないかとする説を提唱している[10]。一方、辻惟雄は74歳、84歳など、四のつく数字の落款が無いことを指摘し、天明の大火で死ぬ思いをした若冲が四=死という縁起の悪さを嫌い、それを避けた年齢を記したのではないかと推察している[10]。『百犬図』は若冲84歳の時の作品であり、これを避けて「八十六歳」と記したものとみられる[注釈 3][5]。ただし、藤女鈞印の欠け具合から81歳以前の作品であるとする研究者もいる[7]

来歴

本作品は長らく個人[注釈 4]が所蔵し、京都国立博物館へ預託されていたが、2019年に9,900万円で京都国立博物館が購入し、同館所蔵となった[3]

評価

『奇想の系譜』を著し、若冲を再評価したことで空前のブームを生み出した美術史家の辻惟雄[12]、自著『奇想の図譜』の中で『百犬図』について「若冲の意図に反して、可愛らしさより奇妙さの印象が先に立つ。これを傑作といえるかどうかは知らないが、この図を忘れがたくするのは、犬の体につけられた水玉模様風の、あるいはアミーバ状の斑点が、主題から離れてオートマティックに自己増殖を始めているそのふしぎさだろう。」と分析し、「増殖」という要素が若冲の作品において重要な核のひとつであると指摘した[13]

『百犬図』が若冲最晩年に制作された作品ということで、美術史家の太田彩は禅問答の狗子仏性を引き合いに出しつつ、自身の人生の中で関わった人々を思い浮かべながら、仏教と最後まで向き合い制作された作品ではないかと評している[1]。同じく美術史家の中野玄三は、若冲と同様に動物画を多数制作した円山応挙と比較し、若冲は実物の観察を重んじたもののそれを現実と隔絶した幻想の作品として仕上げた画家であると指摘し、『百犬図』はそうした若冲独自の世界観から誕生した作品であるとした[14]

脚注

参考文献

外部リンク

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