直江津捕虜収容所事件
From Wikipedia, the free encyclopedia
東京俘虜収容所第四分所(直江津捕虜収容所)は、1942年12月7日に新潟県中頸城郡直江津町(1954年に市制施行、現在の上越市)の信越化学工業の工場内に開設され、1943年2月、中頸城郡有田村春日新田(現・上越市川原町)に移転した[2]。1945年9月に閉鎖された。使役企業は信越化学工業のほか、日本ステンレスなどで、終戦時収容人員は698人で、内訳はアメリカ人兵士338人、オーストラリア人兵士231人、イギリス人90人、オランダ人39人であった[2]。
収容されていたオーストラリア人捕虜300名のうち60名、1942年12月から翌年の3月まで続いた大寒波が原因で肺炎、栄養失調、脚気などを起こし、病死した[2]。アメリカ人捕虜1人は急性心不全で1945年7月に死亡[2]。