相羽欣厚

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 1943年12月8日
没年月日 (1988-01-29) 1988年1月29日(44歳没)
相羽 欣厚
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県大府市
生年月日 1943年12月8日
没年月日 (1988-01-29) 1988年1月29日(44歳没)
身長
体重
173 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1962年
初出場 1962年5月14日
最終出場 1975年10月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

相羽 欣厚(あいば よしひろ、1943年12月8日 - 1988年1月29日[1])は愛知県大府市出身のプロ野球選手外野手)・コーチ

中京商業では3年次の1961年、春夏連続で甲子園に出場。春の選抜遊撃手として出場するが、1回戦で小倉工に惜敗[2]夏の選手権では中堅手に回って準々決勝に進むが、この大会に優勝した浪商のエース・尾崎行雄らに抑えられ、完封負けを喫する[3]。秋の秋田国体では決勝で報徳学園を下し、優勝を飾った。高校同期に山中巽江藤省三、大森秀男(巨人)、1年下に林俊彦木俣達彦がいた。

卒業後の1962年読売ジャイアンツへ入団。1年目から一軍に上がるが、レギュラーには届かなかった。外野の控えや代打を中心に起用されたが、1965年には31試合、1967年には30試合に先発出場している。1965年の日本シリーズでは第1戦、第2戦に左翼手、二番打者で先発するが1安打と結果を残せなかった、

1964年6月17日中日ドラゴンズ戦に左翼手として出場していた際、ジム・マーシャルの大飛球をジャンプして取ろうとした直前レフトスタンドのファンが身を乗り出してこのボールを取ってしまった際に左翼外審は「ファンがボールを取らなければ捕球できた」と判断しアウトを宣告したという「幻のホームラン事件」に関わっている[1]。また1965年に4試合四番打者をつとめたことがあり、読売ジャイアンツの第31代四番として記録に残っている[1]

1973年には南海ホークスに移籍。主に左翼手として片平晋作ウィリー・スミスとの併用ながら54試合に先発出場。規定打席には足りなかったが打率.287と自己最高の成績をあげた。1974年オフに村上雅則と共に、和田徹野上俊夫との交換トレードで、阪神タイガースへ移籍。左投手に滅法強かった事から、安田猛松本幸行対策として採用された。1975年限りで引退。

引退後は阪神で二軍打撃コーチ(1976年 - 1981年)→二軍チーフコーチ(1982年)→一軍外野守備コーチ(1983年)→一軍内野守備コーチ(1984年)、日本ハムで一軍打撃コーチ(1985年 - 1986年)を務めた。1988年1月29日、膵臓癌で他界した。享年44[1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1962 巨人 1625241401060000010090.167.200.250.450
1963 8650100010000010030.200.333.200.533
1964 3472706151202082300200131.214.236.286.522
1965 731421291335614551764301000144.271.324.426.750
1966 4688845145001941210300161.167.195.226.421
1967 80138126163160243832101100203.246.307.341.648
1968 10991200152010000030.222.222.556.778
1969 5370627121011630010700124.194.275.258.533
1970 507064414202227111050071.219.275.344.619
1971 494944491011381000500112.205.286.295.581
1972 1911113110021100000030.091.091.182.273
1973 南海 8724822320646048218024318001113.287.336.368.704
1974 4894815206133790001120095.247.340.457.797
1975 阪神 2736320510062010030161.156.250.188.438
通算:14年 60010589648522736518327871516114780113735.235.292.339.751

背番号

  • 34 (1962年 - 1964年)
  • 25 (1965年 - 1972年)
  • 9 (1973年 - 1974年)
  • 26 (1975年)
  • 73 (1976年 - 1982年)
  • 85 (1983年 - 1984年)
  • 77 (1985年 - 1986年)

脚注

関連項目

外部リンク

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