看羊録
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姜沆は慶長の役で朝鮮半島に侵攻した日本軍の捕虜となり、日本に連行され、1598年から1600年まで伏見に幽閉された。その際に見聞した情報を秘密裏に本国の政府に報告した文集が本書の提要を成している。
日本の六十六州の地理から諸大名[1]、豊臣秀吉とその死後の状況、京都相国寺の藤原惺窩、吉田宗恂[2]らとの交流、京都方広寺の耳塚のことなどを記録にとどめ、安土桃山時代の日本に関する記録として名高い。
「日本はどんな才能、どんな物であっても必ず天下一を掲げる。壁塗り、屋根ふきなどにも天下一の肩書が付けば、多額の金銀が投じられるのは普通だ」と綴っている。
帰国した姜沆は、自ら見聞した日本の情勢をまとめて当時の宣祖王に提出したが、自らを朝鮮王朝に対する罪人としてとらえ、この文集を『巾車録』と題した。1654年に門人の尹舜挙によって編輯され、漢の蘇武の節義になぞらえて『看羊録』と命名され、後世に伝えられた。