真岡城

From Wikipedia, the free encyclopedia

別名 芳賀城、舞か丘城[1]
城郭構造 平山城
築城主 芳賀高貞
築城年 1362年(貞治元年)
logo
logo
真岡城
栃木県
真岡城址
真岡城址
別名 芳賀城、舞か丘城[1]
城郭構造 平山城
築城主 芳賀高貞
築城年 1362年(貞治元年)
主な改修者 芳賀高継
主な城主 芳賀氏
廃城年 1597年(慶長2年)
遺構 腰曲輪、土塁
位置 北緯36度26分32秒 東経140度0分24秒 / 北緯36.44222度 東経140.00667度 / 36.44222; 140.00667座標: 北緯36度26分32秒 東経140度0分24秒 / 北緯36.44222度 東経140.00667度 / 36.44222; 140.00667
地図
真岡城の位置(栃木県内)
真岡城
真岡城
テンプレートを表示

真岡城(もおかじょう)は、栃木県真岡市台町にあった中世の日本の城宇都宮氏の家臣であった芳賀氏の居城であった。別称芳賀城ともいう。

現在の状況

真岡城の起源には諸説あるが、鎌倉時代末期の貞治元年(1362年)に芳賀高貞が築城して御前城から移転し、戦国時代天正5年(1577年)になって、芳賀高継北条氏の侵攻に備えて堅固な城郭としたとの説が有力とされる[要出典]

1597年慶長2年)に宇都宮氏豊臣秀吉によって改易されると同時に廃城となった。江戸時代には遺構の一部が徳川幕府の代官所として利用された。

真岡城跡は現在、真岡市立真岡小学校ならびに城山公園となっている。城山公園には土塁や堀の痕跡が見られる。また、郭の周囲を囲んでいた腰曲輪は比較的良好な形状で保たれている。城山公園付近に四の郭が、小学校付近に三の郭、二の郭、本郭が所在していた。三の郭、二の郭、本郭の各郭間は空堀で仕切られていたが、現在、空堀はなく土塁のみが残る。

構造

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI