矢内原勝
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矢内原忠雄の三男として1926年に東京都大田区大森に生まれた[1]。哲学者の矢内原伊作は兄。東京府立第一中学校、慶應義塾大学経済学部予科を経て[2]、1947年に慶應義塾大学経済学部に入学[1]。山本登に師事。1950年に卒業、副手として開発経済学の研究に着手[1]。1952年に助手に、1957年に助教授に、1966年に教授に昇任[1]。1954年から1955年まではロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに、1976年から1978年までパリ第1パンテオン・ソルボンヌ大学に留学した。1991年に慶應義塾大学を定年退官し、名誉教授の称号を授与される[1]。同年、浜松大学国際経済学部教授に就任、その後作新学院大学学長を務めた。2003年に心不全のため逝去[2]。
2006年、『アフリカとアジア:開発と貧困削減の展望』(慶応義塾大学出版会)という題目の追悼論文集が発刊された[3]。
東京大学経済学部に入る学力はあったが、父の忠雄と東京大学との関係の悪化により慶應義塾大学へ進学。船田元は、矢内原の下で学んだ。敬虔な無教会のクリスチャン。多くの弟子を育てた。国際経済学会、日本アフリカ学会、日本経済政策学会で要職に就いた[2]。