石勒十八騎

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石勒十八騎(せきろくじゅうはっき)は、五胡十六国時代後趙の創建者である石勒に、その活動初期の段階から付き従った18人の総称。

石勒は元々、上党郡に割拠する羯族の有力者であったが、飢饉に遭遇して部族は離散してしまった。自身もまた捕らえられ、奴隷として茌平へ売り飛ばされるも、ほどなくして奴隷から解放され、魏郡武安臨水一帯で傭兵稼業を行うようになった。この時に8人の騎兵(王陽支雄夔安冀保呉豫劉膺桃豹逯明)を傘下に招き入れ、次第に群盗として各地で略奪行為を働くようになり、後に10人の騎兵(郭敖劉徴劉宝張曀僕呼延莫郭黒略張越孔豚趙鹿支屈六)が加えられて総勢18人となった。これが所謂『石勒十八騎』である。やがて石勒は汲桑と結託して晋朝に反旗を翻し、さらにその後には漢(後の前趙)の将軍として河北・河南を転戦し、果てには後趙政権を樹立する事となるが、十八騎の多くは以降も彼に付き従い、その覇業を支える存在となった。

石勒十八騎は出自や出身民族もバラバラで石勒個人への忠誠が強く、彼の死後に後継者争いが起きると、石弘派と石虎派に分裂することになり、更に夔安や桃豹のように石虎の下でも重用された者もいれば、逯明や郭敖のように石虎に粛清される者もいるなど、別々の運命を辿ることになる[1]

該当者

脚注

参考文献

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