石川王の名は壬申の乱の中で本人の行動と関わらない形で現れる。大海人皇子(天武天皇)の子、大津皇子は父の挙兵を知って味方とともに脱出し、6月25日深夜に鈴鹿関で大海人皇子が張った封鎖線にかかった。このとき鈴鹿関司は大津皇子らを山部王と石川王だと誤認した。
理由は書紀に明記されないが、敵味方不明の地を行く際に、少年だった大津皇子の存在を隠し、従う者の誰かが山部王らの名を騙った可能性がある。もしこの推測が正しいとすれば、山部王と石川王はどちら側からも殺されずにすみそうな、態度のはっきりしない人物と考えられていたことになる。