石田一良
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1913年生まれ。京都市伏見区出身。1934年3月第三高等学校卒業[1]。同年京都帝国大学法学部に入学[2]。翌1935年に同文学部史学科に転じた[3]。1939年、京都帝国大学文学部史学科国史学専攻を卒業[4]して同大学院に入学。西田直二郎に学んだ。1945年まで在学。
1946年同志社大学文学部助教授となり、創設期の文学部文化学科の基礎確立に尽力。1948年2月に34歳の若さで教授に昇進、4月に新設の文化学科文化史学専攻で研究と教育にあたった。大学院に文化史学専攻の設置に尽力し、1951年に文部省から認可を得た。
その後、1958年5月より東北大学文学部史学科日本思想史専攻に教授として着任し、文化史学第一講座(後に日本思想史学講座と改称)で大学院修士課程、博士課程の指導を行った。
1960年、ミュンヘン大学客員教授。1968年、ボツホム大学客員教授[5]。
1977年4月に退職して名誉教授。同年から、東海大学文明研究所教授(1984年退職、1987年まで特任教授)として、同大学の文明学科の開設に関わった。
恩師・西田直二郎の学問を発展させ、「文化史学」を構築した。日本思想史学の第一人者といえる。1962年に「近世文化の研究」により京都大学から文学博士の学位を授与される[6]。勤務校の同志社大学と東北大学で文化史・思想史の後継者を育成した。主な人物では同志社大学名誉教授の笠井昌昭、東北大学教授の佐藤弘夫などがいる。
1950年5月に既にあった文化史研究会を母胎として、文化史学会を設立し代表となり、機関誌『文化史学』を発刊し、年一回の大会を開始した。1951年7月には『文化史学の理論と方法』を刊行し、その後長く本邦の文化史研究に理論的根拠と目指すべき方向の指針とを与えた。
東北大学を日本思想史研究の中心たらしめようと、1958年9月には、思想史研究の方法論を示した「生活と思想--文化史学における思想史研究の課題と方法・試論」を発表している。この論考は、新カント派に連なるハルトマンの「哲学史的方法」とマルクスの唯物史観とを止揚したもので、戦後、最も重要な思想史方法論の著述である。東北大学では、この方法論を駆使して数々の学術成果が産み出された。
東北大学着任直後の1959年、日本思想史研究会を組織してその代表となり、1960年には東北大学で日本思想史研究会大会の開催を始めた。さらに、1968年10月に日本思想史学会が、日本思想史研究会の延長上に創設された。発足以後1986年10月まで会長を続け、退任とともに名誉会長に推された。東北大学退官を間近に控えた1976年には、日本思想史懇話会を結成し『季刊日本思想史』を発刊した。現在通算70号を数え、日本思想史の振興と普及という役割を果している。
歌舞伎評論家としての一面もある。
著書
- 『歌舞伎 本質と鑑賞』推古書院 1948.12
- 『浄土教美術(法然教の部)文化史学的研究序論』平楽寺書店 1949.12
- 『文化史学の理論と方法』同志社大学出版部 1951.7
- 『文化史学 理論と方法』洋々社 1955.1。再版1957.7、復刊1990.5
- 『浄土教美術 文化史学的研究序論』平楽寺書店 1956.1
- 『日本美術小史 美術と思想の展開』飛鳥園 1957.9
- 『伊藤仁斎 日本文化研究 5巻』新潮社 1959.6 - 冊子
- 『伊藤仁斎』人物叢書:吉川弘文館 1960.1、新装版 1989 ISBN 9784642051767、オンデマンド版 2020 ISBN 9784642751766
- 『神話と歴史 氏制律令国家と家制立憲国家の理念 日本文化研究 8巻』新潮社 1960.7 - 冊子
- 『町人文化 元禄・文化・文政時代の文化について』日本歴史新書:至文堂 1961.9、増補版 1966.11
- 『禅と日本文化 IDE教育選書』民主教育協会 1964.5
- 『日本の開花 大世界史 第12巻』文藝春秋 1968.5
- 『歌舞伎の見方』講談社現代新書 1974.6
- 『形と心・日本美術史入門』芸艸堂 1970.11
- 『日本の思想 教養の書 N0.80』郵政省 1979.3 - 冊子
- 『カミと日本文化 神道論序説』ぺりかん社 1983.10
- 『日本文化史 日本の心と形』東海大学出版会 1989.2 ISBN 4-486-01025-6
- 『浄土教美術』ぺりかん社 1991 ISBN 4-8315-0512-9
- 『愚管抄の研究 その成立と思想』ぺりかん社 2000.11 ISBN 4-8315-0899-3