磯部温泉
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温泉街
歴史
1661年(万治4年)、江戸幕府が農民の土地の境界をめぐる訴訟に対して出した評決文の絵図に、磯部温泉の位置を表す湯気の出ている記号2つが描かれており温泉記号発祥の地とされる[1]。
1783年(天明3年)の浅間山の大噴火で湯量が増したといわれる。
温泉記号発祥の地ではあるが、源泉温度は時代を経るにしたがって低くなっていき(旧源泉:24℃)、旧来、沸かして使われていた。ただし、のちに掘られた新源泉はこれよりも温度が高い(52℃)。
明治の児童文学者・巖谷小波は舌切り雀の伝説が伝わるという磯部を訪れ、舌切り雀の昔話(日本昔噺)を書き上げた。おとぎ話自体は各地に昔からあるものの、巌谷小波が児童文学として現代に残したことにより、磯部温泉は舌切雀伝説発祥の地とされている。なお、「舌切雀のお宿ホテル磯部ガーデン」には巌谷小波がその時詠んだ句、「竹の春 雀千代ふる お宿かな」の句碑がある。
井上馨は外務大臣時代、磯部温泉を第一の静養地としており、群馬県知事佐藤与三の斡旋で、1886年(明治19年)に当地に別邸を建設した[2]。同邸は末松謙澄の監督で造られた凝った意匠の別荘で、のちに興津の井上別邸に移築され、本館として使用された[2]。