祖甲

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王朝
武丁
祖甲
第24代王
王朝
武丁
※名はとも作る。

祖甲(そこう)は殷朝の第24代王。祖庚の弟。

幼少期は父武丁の寵愛を受けていたが、王位を継承することを望まず、弟に譲り、民衆と共に暮らした。兄が病死した後、さらに33年間統治し、民衆の福祉に尽力した[1]。『竹書』には、彼が若くして西戎の反乱を鎮め、後に和平を結んだと記される。霍光はかつて祖家に「囂」と「良」という双子がいたことを記している[2]。一方で『史記』によれば、暴虐な性格のために殷が衰える原因となったとされている。

また、煩雑な祭祀の制度を体系化し、肜祭(鼓による祭り)、翌祭(舞による祭り)、祭祭(肉を用いた祭り)、洅祭(穀物を用いた祭り)、協祭(総合的な形式の祭り)の五つの祭祀を以て神々と祖先を祀る形式を確立した。また、祭祀対象を死後に神格化された人間の祖先たちに絞る一方で、森や川など自然を司る神々への儀礼は縮小された。

一部の研究者は祖甲の代に王が後継者を定める制度が始まり、西周以降の嫡子による世襲制の原型になったと考えている。ただし、嫡子相続は庚丁の代まで確立されず、殷末やその子孫とされる宋の初期までは必ずしも厳密に施行されていなかったとする説もある『呂氏春秋』当武篇に記されている微子啓帝辛(紂王)の相続争いは、戦国時代後期の作り話であり、事実ではないと考えられている。の始祖とされる微子啓と微仲衍の母親はおそらく『尚書牧誓』に記されている八つの国の一つである「微」の出身で帝辛の母親とは出自を異にする[3][4][5][6][7][8][9]

年代

家族

脚注

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