福山駐屯地
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逓信省
日本海軍
- 1944年(昭和19年)6月1日:瀬戸内海を挟んで南向かいに位置する香川県詫間町(現在の三豊市)にあった詫間海軍航空隊の福山分遣隊となる。
- 1945年(昭和20年)3月1日:福山海軍航空隊として分離独立。
アメリカ陸軍
- 1945年(昭和20年)
オーストラリア陸軍
警察予備隊
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年):旧海軍航空隊時代の航空機格納庫の鉄骨を、日本専売公社岡山地方局倉敷葉煙草再乾燥場新営工事を請け負った建設省中国四国地方建設局へ払い下げ。新規鉄骨を使用すると予算不足を来す上、格納庫が駐屯地中央に位置するため、隊員の訓練上支障となっていたが、格納庫が構造的にも材料数量の上からも、上目的を達成することができた[3]。
- 時期不明:福山駐屯地開設。
- 5月1日:警察予備隊第7連隊第2大隊が編成完結。
- 1952年(昭和27年)
保安隊
陸上自衛隊福山駐屯地
- 1954年(昭和29年)7月1日:自衛隊法施行令により、保安隊福山地区病院を陸上自衛隊福山地区病院に改称[5]。
- 1955年(昭和30年)7月11日:陸上自衛隊福山地区病院の所在地を「広島県深安郡大津野村」から「広島県深安郡深安町」に改める[6]。
- 1962年(昭和37年)5月15日:陸上自衛隊福山地区病院の所在地を「広島県深安郡深安町」から「福山市」に改める[7]。
- 1966年(昭和41年)2月20日:日本鋼管福山製鉄所の進出に伴い、日本鋼管の負担で陸上自衛隊福山地区病院は川西駐屯地(兵庫県)に移駐し、陸上自衛隊阪神地区病院に改称[8]。閉庁式を行い駐屯地廃止。
JFEスチール西日本製鉄所福山地区(日本鋼管福山製鉄所)
駐屯していた部隊等
- 1952年(昭和27年)1月19日移駐
- 1953年(昭和28年)8月31日廃止
- 第823救急病院:1952年(昭和27年)1月24日から1953年(昭和28年)8月31日の間。保安隊福山地区病院に改編。
- 1954年(昭和29年)6月30日廃止
- 保安隊福山地区病院:陸上自衛隊福山地区病院に改編。
- 1966年(昭和41年)2月20日廃止
ギャラリー
その他
- 福山地区病院は主に結核患者の治療を目的としていた。
- 全国的にも珍しい海に面した駐屯地であった。
- 福山駐屯地の開設の際、隣接していた広島大学水畜産学部の土地を半分割譲させて開設したことや、当時の警察予備隊に対する世間の見方から、大学との境界線は「38度線」と呼ばれ、広島大学の学生と隊員との間で口論になることもあったという[9]。
現在の駐屯地跡および遺構
- 福山駐屯地は現在JFEスチールの所有地となっており、無断での立ち入りはできない。
- 毎年5月に行われるJFEフェスタの際には駐車場が開放されるため、立ち入ることは可能。
- 駐屯地時代の遺構はほとんどないため、往時の姿を偲ぶことはできない。
- 占領軍が使用していた教会の建物は自衛隊にも引き継がれ、1980から90年代頃まではJFEの教育施設や写真センターとして使用されていたが、取り壊され現在は駐車場の一部になっている。
- 宿舎や倉庫などの建物も1990年代前半ごろまで残っていたが、同様に取り壊され現在では新たな建物が建設されている。