福島城 (筑後国)
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筑紫広門による築城

肥前国・筑前国・筑後国などを支配していた筑紫広門は、天正14年(1586年)に島津氏に敗れて領地を奪われたが、同年の豊臣秀吉による九州平定の際に勝尾城を奪回した[1]。その功績によって領地を筑後国上妻郡(後の八女郡)に移し、天正15年(1587年)に柳川城の支城として福島城を築いた[1]。
広門がそれまで居城としていた山下城は山城であり、また領地の南に偏り過ぎていたため、上妻郡の中央部に平城の福島城が築城されたといわれるが、これ以後も広門は山下城を居城として福島には館を新築したのみとする説もある[2]。
田中吉政による大改修
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは田中吉政が石田三成を捕らえ、吉政はその功績によって柳川城に入城して初代柳川藩主となると、福島城など9城を配下に治めた[1]。吉政は柳川城を居城としながら、福島城を大改修して三重の堀などを築いた[1][3]。石材には長峰丘陵にあった古墳の大石や石人石馬なども用いたため、築城後にはしばしば祟りが起こったとされる[3]。東西は450間(約820メートル)、南北は340間(約600m)という広さの典型的な平城である[3]。
吉政は三男の田中康政に福島城を与え[3]、康政が初代城主となった[4]。元和6年(1620年)には田中忠政が死去して田中氏が断絶し、福島城は久留米藩主である有馬豊氏の支城となったが、元和7年(1621年)には一国一城令によって福島城は廃城となった[1][4]。
廃城後の福島
江戸時代の福島は商業の町として発展し、八女提灯、八女仏壇、和紙などの産業で栄えた[1]。
2002年(平成14年)5月23日、八女福島は重要伝統的建造物群保存地区に選定された[1]。
