福沢孝秋
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塚原天龍高校時代は野球部の4番・捕手打者で、卒業後もティアックに入社して社会人野球を続けたが、2年で限界を感じて退社[1]。たまたま父親が勤めていた鉄工所がゴルフ練習場をオープンし、そこでアルバイトを始めたのがゴルフとの出会いとなる[1]。
22歳で諏訪湖カントリークラブに事務職として就職し、一時、和合に移り、再び諏訪湖CCに戻って、1980年、28歳の時に5回目のプロテストでようやく合格を果たした[1]。
1990年には関東オープンで水巻善典・真板潔・渡辺司と並んでの10位タイ[2]、大京オープンでは藤木三郎・上出裕也・入野太・真板と並んでの9位タイ[3]に入った。
1990年には’90後楽園カップ(第4回)で初優勝し[4]、1991年の水戸グリーンオープンでは芹澤大介・中村輝夫・坂下定夫と共に松永一成の2位タイ[5]に入った。
1995年に賞金ランク40位で初シードを獲得して以降、1997年までシードを維持[1]。
1997年のKBCオーガスタでは45歳の誕生日となった3日目に1イーグル、6バーディ、1ボギーと素晴らしいゴルフで[6]この日のベストスコア65をマークし、通算12アンダーで2位に浮上[7]。最終日は尾崎将司と最終組で回り[1]、手嶋多一と共に尾崎には12打差を付けられたが[8]、2位タイに踏み止まった[1]。
その後はシニア入りに備えてチャレンジツアーに出場し[1]、2005年の日本プロ[9]を最後にレギュラーツアーから引退。
2002年からシニアツアーに参戦、シニアデビュー3戦目の日本シニアオープンでは欧米のシニアツアーで活躍中の青木功、海老原清治と優勝を争った末、シニア初優勝を飾った。
シニア3年目の2004年、日本プロシニアでは4日間単独トップを守り通算18アンダー、270で完全優勝し、メジャー2勝目を飾った。