入野太
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来歴
1983年の和歌山オープンでは初日を宮本康弘・三上法夫・荒井与志明と並んでの5位タイでスタートし[2]、最終日には松田敏博・松井一と並んでの3位タイに入った[3]。
1984年の和歌山オープン[1]で宮本康・伊藤正己・吉川一雄・大町昭義・前田新作・金海繁を抑えてプロ初勝利[4]を挙げ、1985年には東北クラシックで安田春雄・村上隆・牧野裕・新関善美・出口栄太郎、ブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)と並んでの7位タイ[5]、関東プロで安田・高橋勝成・中川泰一と並んでの8位タイ[6]に入る。日本プロでは3日目に通算7アンダーまでスコアを伸ばして単独首位に立ったが、終盤のボギーで尾崎健夫・宮本と同じく4アンダーの首位タイとなり、最終的には倉本昌弘と並んでの7位タイに入った[7]。関東オープンでは矢部昭・中嶋常幸・尾崎直道・小林富士夫と並んでの7位タイ[8]に入った。
1986年は日本プロで古木譲二・稲垣太成と並んで2年連続の同大会7位タイ[9] [10]、河野和重とペアを組んだアコムダブルス2位タイ[11]、マルマン日本海オープンで新井規矩雄と並んでの6位タイ[12]、ゴルフダイジェストトーナメントでは大町・山本善隆と並んでの5位タイ[13]に入った。
1987年はブリヂストン阿蘇オープンで須貝昇・草壁政治・海老原清治・木村政信・渡辺司、グラハム・マーシュ(オーストラリア)と並んでの9位タイ[14]に入る。中日クラウンズでは初日に合計25パットで草壁、イアン・ベーカーフィンチ(オーストラリア)と共に首位で飛び出したが9位タイに終わった[15]。富山県オープンでは友利勝良・三上法夫・丸山智弘と並んでの5位タイ[16]に入った。東海クラシックではマーシュと並んでの6位タイ[17]、日本オープンでもマーシュと並んでの7位タイ[18]と健闘。
1988年は仙台放送クラシックで倉本の2位[19]、関東プロでは新関善美と並んでの2位タイ[20]、広島オープンでは矢部・横島・牧野・中嶋・甲斐俊光・上野忠美・岩下吉久と並んでの6位タイ[21]に入る。日本プロでは初日に6アンダー66で尾崎直・秋富由利夫と並び、尾崎将司・中嶋のONに1打差の好発進を決める[22]。
1989年はブリヂストン阿蘇オープンで初見充宣・芹澤信雄と並んでの8位タイ[23]、1990年はNST新潟オープン[24]・大京オープン[25]9位タイと日本プロ[26]10位タイ、1991年はペプシ宇部8位タイ[27]、1992年はミズノオープン[28]・全日空オープン[29]6位タイに入った。
2000年10月のチャレンジトーナメントではアルバトロスを達成し[30]、2004年の第1回アサヒ緑健よみうり・麻生飯塚メモリアルオープン[31]を最後にレギュラーツアーから引退。
主な優勝
- 1984年 - 和歌山オープン
- 1993年 - NISSANオールスターチャリティ
- 1994年 - 栃木オープン