『私の鶯』(わたしのうぐいす、ロシア語: Мой соловей)は、1942年に製作が開始され、44年に完成した[4]満洲映画協会と東宝の共同製作による映画である。大佛次郎の原案をもとに島津保次郎が脚色・監督、李香蘭(山口淑子)が主演した。ロシア革命から満州事変・満州国成立にかけてのハルビンの白系ロシア人社会が主要な舞台となっており、劇中の多くの部分でロシア語の会話が用いられている。現地のハルビン交響楽団も撮影に協力した。満洲・日本での劇場公開は実現しなかったが、1944年8月から翌年6月にかけて数回北京・上海で上映されている[5]。1984年にプリントが再発見された[4]。