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秋オウ

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秋饁(しゅう おう、チュ・ヨプ、朝鮮語: 추엽)は、中国宋の文官であり、朝鮮の氏族の秋渓秋氏の始祖である[1][2]。

ハングル: 추엽
漢字: 秋饁
日本語読み: しゅう おう
概要 秋饁, 各種表記 ...
秋饁
各種表記
ハングル: 추엽
漢字: 秋饁
日本語読み: しゅう おう
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秋饁は1141年(高宗11年)に文科に及第し、門下侍中を務めたが、高麗の仁宗時代に家族と共に咸興の蓮花島に移住し、高麗に帰化した[1][2]。

秋饁の息子の秋篁は1213年(康宗3年)に文科に及第し、礼部尚書、芸文館大提学を歴任し、秋饁の孫の秋適は忠烈王時代に文科に及第し、民部尚書、芸文館大提学、門下侍中を歴任した[1][2]。その後、秋適の子孫たちが秋適の本籍である秋渓を本貫に秋渓秋氏を創始した[1][2]。

秋饁の10代子孫の秋水鏡は明の軍人で武康刺史を務めていたが、文禄・慶長の役の際に万暦帝の王命を受けて、秋蘆と秋荻の2人の息子と5000人の兵士を率いて鴨緑江を渡河して参戦した[1][3]。1593年2月には郭山において金應瑞将軍とともに日本軍を破り、開城と漢陽を奪還[4]。秋水鏡は死後に完山府院君に追封され、その後秋水鏡の子孫たちが完山のある全州を本貫に全州秋氏を創始したことから、秋水鏡は全州秋氏の始祖となった[3][4]。

現在、秋饁の墓は咸鏡南道咸興市蓮花島にある[2]。

脚注

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