秋山光和
From Wikipedia, the free encyclopedia
- 出生から修学期
1918年、京都市下京区(現、東山区)[1]で父・秋山光夫と母・花枝の長男として生まれた。父の秋山光夫が宮内省図書寮に職を得たことから家族とともに東京に移り、幼少期を過ごした。やがて私立暁星小学校に入学[1]。母方の祖父は元ベルギー公使で、幼いころから祖父母にフランス語を教わっていた[1]。
1931年、旧制東京高等学校尋常科に進み、同高等科文科丙類(仏語専修)を卒業。一時は外交官を志した[1]。1938年4月、東京帝国大学文学部美術史学科に入学し、1941年に卒業。
- 美術史研究者として
1941年7月、文部省美術研究所に嘱託として採用された。しかし徴兵され、翌年1月、海軍予備少尉として任官[1]。海軍予備大尉で終戦を迎えた[1]。
- 太平洋戦争後
戦後は同研究所嘱託に復職。1948年4月より東京国立博物館研究員。1950年にフランスに留学。これは戦後初のフランス政府招聘留学生であった。在仏時には、パリ大学、ギメ東洋美術館、フランス国立図書館において調査研究にあたった[1]。帰国後の1952年4月からは東京国立文化財研究所美術部第一研究室に研究員として勤務。1963年4月に同室長となった[1]。
1967年2月、東京大学文学部助教授に転じた。以後、後進の育成と研究生活に入り、1969年に学位論文『平安時代世俗画の研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得[2]。同年に教授昇進。1979年に東京大学を定年退官(1987年に名誉教授となった)。その後は学習院大学教授として教鞭をとった。1981年にはフランス国立高等研究院(Ecole pratique des Hautes Etudes)の客員教授、1985年にはコレージュ・ド・フランス(College de France)の客員教授として特別講義を担当した[1]。
学界では、1985年にフランス学士院会員に選出された[1]。これは人文系の日本人研究者として初の選出であった。2009年3月10日、老衰のため死去、享年90歳[1]。
受賞・栄典
- 1959年:フランス・芸術文化勲章(シュヴァリエ)[1]。
- 1960年:同(オフィシエ)[1]。
- 1967年:『平安時代世俗画の研究』で日本学士院賞[1]。
- 1988年:ロイヤル・アカデミー客員会員[1]。
- 1991年:勲三等旭日中綬章[3]。
- 1992年:ベルギー政府レオポルド3世勲章[1]。
- 1998年:フランス・レジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受章。また、芸術文化勲章(コマンドール(フランス語版))を受章。
研究内容・業績
専門は美術史で、日本絵画史。中でも平安時代絵画の分析を進め、『平安時代世俗画の研究』としてまとめた。これは学位請求論文でもあり、1967年の日本学士院賞はこの著作に対して贈られた[1]。
- X線を用いた絵画調査
日本の美術史研究にX線を用いた光学的な調査手法を持ち込んだ。1953年、東京国立文化財研究所の研究班による研究報告書『光学的方法による絵画の研究』を出版。1955年には田中一松らとの共著『光学的方法による古美術品の研究』を刊行した[4](1984年増補版[5][6])。
- ペリオ収集敦煌壁画の研究
1950年から調査・研究のためフランス留学中、特に有名な敦煌文献をフランスにもたらしたポール・ペリオの収集資料の分析を深めた。これにより、敦煌壁画研究の道を開いた[7][8]。
- 秋山光和収蔵資料(秋山記念文庫)
没後、秋山の膨大な蔵書はじめ研究資料は、東京文化財研究所ほかが受贈。上野憲示学長が東京大学の教え子だった縁から文星芸術大学には日本美術に関する資料のほか前田青邨の未発表作品、堀口大學の初版本、「高村光雲先生考案下絵貼込帳」画帳が贈られ[9]。 2011年には構内に秋山記念文庫を建てて秋山の1万冊を超す蔵書を収める準備のかたわら、5月から7月初旬に開設記念展「SALON de Mont' Automne」を同大学上野記念館で開いている[10][11]。研究資料および秋山の手描きスケッチをはじめ、義父の前田青邨の作品、伯父の堀口大学資料を展示した。文庫の建物は鉄筋コンクリート製平屋で、面積約93平方メートル。遺品の机などを配して秋山の書斎を復元したコーナーもある[10]。