稲沢操車場

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座標: 北緯35度15分40秒 東経136度49分8秒 / 北緯35.26111度 東経136.81889度 / 35.26111; 136.81889

稲沢操車場(1962年)

稲沢操車場(いなざわそうしゃじょう)は、かつて愛知県稲沢市下津町にあった日本国有鉄道(国鉄)の操車場である。関東新鶴見操車場(現・新鶴見信号場)や関西吹田操車場(現・吹田貨物ターミナル駅)と並ぶ、日本三大操車場の一つとして数えられた、中部地方の中心たる操車場である[1]

鉄道国有化以降、鉄道貨物輸送は増加の一途をたどっていたが、設備増強が追い付かずに東海道本線沿線では滞貨が発生した[2]。関東では大正初期に田端操車場などが建設されたが能力は十分ではなく、1922年には新鶴見操車場大宮操車場の建設が行われることとなった[3]。関西では1917年に吹田操車場が建設されることとなった[3]。名古屋周辺も貨物需要の急増は同様であり、東海道本線・中央本線関西本線といった旅客線に加えて白鳥線や臨港線といった貨物線が交わる名古屋駅では操車能力が極端に不足しており[3]、貨物の仕分作業の一部を他駅で行う状態であった[4]。そこで名古屋駅についても客貨分離を行うことになり、貨物操車場が新規に建設されることとなった[3]

貨物操車場の移転先については当初は名古屋駅の東京寄りに流れている堀川との間に計画をしていたが、名古屋駅を含む東海道本線の高架工事との兼ね合いや用地の観点から断念した[3]。次の候補地として、貨物線との連絡の観点から大高駅付近と広大な用地の確保しやすさの観点から稲沢駅付近が選ばれ[5]、最終的に稲沢駅付近で決定した[6]。1921年に操車場着工、1925年1月16日に稲沢操車場は第1期開業(取扱能力1,500両/日)となった[4]。稲沢操車場建設に合わせて名古屋駅との間を結ぶ稲沢線も同時に建設されたが、当初は東海道本線の西側に増設し、稲沢操車場の東側に稲沢駅を移転させる計画であった[5]。地元の反対にあったため、稲沢線は東海道本線の東側に設置したうえで稲沢駅の移転はなくなった[5]。順次仕訳線の整備を行い、名古屋駅での貨物仕分作業は1934年に移転完了(取扱能力2,500両/日、敷地面積68万m2[7])となった[4]

名古屋地区の重工業の発達に伴い、鉄道貨物輸送の需要はさらに高まりを見せていた。1940年からは方向別仕訳線、駅別仕訳線の増強、本線平面交差の立体化等の大改良を行い、1944年に完成、取扱能力は4,000両/日まで増強された[8]

なお、新鶴見操車場吹田操車場とは異なり、停車場の種別としての「操車場」ではなく稲沢駅構内という扱いであった。本社指定組成駅の一つである。ハンプと呼ばれる小高い丘を持つハンプヤードであった。

操車場の規模は清洲駅北方から名神高速道路の高架付近まで及んでおり、電気機関車配置の稲沢第二機関区(現在の愛知機関区)、蒸気機関車ディーゼル機関車配置の稲沢第一機関区が東海道本線複々線区間の貨物線(稲沢線)側に設置されていた。

現在の状況

稲沢操車場跡地のうち、北部(敷地面積約35ha)は処分可能用地として日本国有鉄道清算事業団に移管された[9]。そしてその土地を含む約63haの土地を対象に再開発事業が行われた[10]2009年平成21年)にはアピタ稲沢東店を核店舗とする大型商業施設「リーフウォーク稲沢」が開業している。また中日ドラゴンズのホームグラウンドの移転の際に最後まで残った候補地であった。

南部は現在でも鉄道施設として利用されており、機関車・貨車の検修を行う愛知機関区や稲沢線上にある着発線が設置されている。

歴史

  • 1921年大正10年)10月:稲沢操車場建設のための用地買収を開始[11]
  • 1922年(大正11年)8月:稲沢操車場構内の工事に着手[11]
  • 1925年(大正14年)1月16日:名古屋駅の貨車操車機能の一部を移す形で、稲沢駅構内に稲沢操車場を新設。取扱能力1,500両/日、敷地面積68万m2[7]
  • 1934年昭和9年):仕訳線の整備を行い、名古屋駅の貨車操車機能を完全移管[7]。取扱能力2,500両/日、敷地面積68万m2[7]
  • 1944年(昭和19年):取扱能力4,000両/日、敷地面積110万m2に増強[8]。年間1日平均取り扱い車数が戦前最高の4,138両を記録[12]
  • 1945年(昭和20年)8月:2日と14日に米軍による爆撃を受ける[13]
  • 1959年(昭和34年)
  • 1960年(昭和35年)1月:貨車自動仕分装置が全列車に対して使用開始[14]
  • 1984年(昭和59年)2月1日:ヤード経由式輸送廃止。稲沢駅が「本社指定組成駅」の指定を解除され、新たに「輸送基地」に指定される。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 :「輸送基地」の指定を解除。

脚注

参考文献

関連項目

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