稲神馨
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いながみ かおる 稲神 馨 | |
|---|---|
| 生誕 |
1923年3月19日 |
| 死没 |
2022年6月5日(99歳没) |
| 国籍 |
|
| 出身校 |
九州帝国大学農学部 ウィスコンシン大学医学部 |
| 職業 | 研究者・実業家 |
| 著名な実績 | カネミ油症事件の原因特定 |
| 肩書き |
九州大学名誉教授 カルピス食品工業常務取締役 (現・アサヒ飲料) 厚生省医薬品政策懇談会委員 三島海雲記念財団副会長 日本食品科学工業学会副会長 |
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稲神 馨(いながみ かおる、1923年(大正12年)3月19日[1] - 2022年(令和4年)6月5日[2])は、日本の食品科学者。九州大学名誉教授。元カルピス食品工業(現:アサヒ飲料)常務取締役[3]、元日本食品科学工業学会副会長。カネミ油症事件の原因を解明した[4]。岡山県新見市出身[5]。
生い立ち
1923年(大正12年)、岡山県新見市に生まれる[5]。その後、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学[6]。同期には、天野昇(日本原子力研究所副理事長)、福田正彦(新見市長)、古米初男(丸善石油副参与)、田井庄之助(大分大学教授)がいた。1940年(昭和15年)、高梁中学校を卒業[6]、鳥取高等農業学校獣医畜産学科へ進学する[7]。1942年(昭和17年)9月、鳥取高等農林学校を卒業し[7]、九州帝国大学農学部へ進学する[8]。1945年(昭和20年)、九州帝国大学農学部農芸化学科を卒業する[9]。
研究者として
九大の教授になるまでの経緯
大学卒業後、農林水産省農業環境技術研究所へ就職し[10]、熊本県蚕業試験場で蚕の生態研究や除草剤の効果研究を行う[11][12][13]。1957年(昭和32年)7月、米国のウィスコンシン大学医学部がん研究所へ留学する[14]。帰国後の1963年(昭和38年)9月、九州大学農学部第三講座の助教授に着任。食品の色・味・香を新たな手法で追究し、強化剤として安定なリジン誘導体の開発に成功する。加熱香気・褐変現象についても成果をあげた[13]。
1965年(昭和40年)、九大農学部に食糧化学工学科が新設され、同学科食品製造工学講座の助教授に就任する。1966年(昭和41年)6月、食品製造工学講座の初代教授に就任した。当時、学科の建物は未完成で、旧林産学科の古い実験室を借用しており、食糧化学工学科の建物(農学部4号館)が完成したのは1967年(昭和42年)5月である[13]。
カネミ油事件の解明
1968年(昭和43年)、福岡県でカネミ油症事件が発生する。妊娠していた女性患者から全身が真っ黒の胎児が産まれ、2週間ほどで死亡するという事件で、社会に大きな衝撃を与えた[15]。学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた。厚生省と政府は原因究明を迅速に行うべく、当時水俣病の治療の研究で有名だった熊本大学医学部教授の高橋等と、食品分析化学で有名だった稲神を招集した[16]。
稲神は、カネミのライスオイルを分析するための専門部会を作ることを提案する。そして、九大での勤務を10日間ほど取りやめ、ライスオイルの解析に専念した。稲神は徹底的に集中しなければ毒物の同定は容易に達成できないと考えており、全力をあげて“奇病” の原因を解明することに努めた[17]。
まず、当時水田に広く用いられていた除草剤のペンタクロロフェノールによって、ライスオイルが汚染されている可能性が強く考えられた。稲神は、この化合物について既に研究したことがあり、直ちにライスオイルを分析し、ペンタクロロフェノールは含まれていないことを立証した[18]。この時点では、後に原因物質として同定されるPCB(ポリ塩化ビフェニル)についてはノーマークであった[19]。
九大の講義が中止されるなど混乱状態の中、ライスオイル分析専門部会が10日間にわたって原因究明した結果、ある患者家族が使用したカネミ・ライスオイルの中に、大量のPCBが含まれていることが発見された[19]。稲神はカネミのライスオイル製造工場を福岡県職員とともに視察し、ライスオイル製造の最終段階で油に残る臭いを除くための加熱を行う際に熱交換器を使用し、熱交換用の熱媒体油(KC-400)が使われていることに注目した[19]。
このことを確かめるには、ハロゲンに高感度なガスクロマトグラフ装置による分析が最も簡便・確実と考えられた。ガスクロマトグラフ装置は現在多くの化学研究室で見ることができるが、当時は普及しておらず、九大で設置されていたのは医学部法医学教室と薬学部薬剤学教室のみであった[20]。分析専門部会の事務局は稲神からの依頼を受け、法医学教室に連絡して装置の利用を至急依頼した[20]。分析の結果、カネミから採取した熱媒体油(KC-400)のガスクロマトグラムのピークパターンと、患者が使用したライスオイルの不純物のピークパターンとが一致し、両者の比較から、患者の油は工業用の熱媒体油(KC-400)に汚染されていることが立証された[20]。
稲神が迅速に原因を突き止めたことは、世間から驚きをもって報じられた。朝日新聞記者の西村幹夫は、カネミ油症の原因解明が可能となった要因として、かねてより稲神が食品製造工学の研究者として自然油脂に含まれる抗酸化物質の研究に従事していたこと、稲神の実験室にはこのような研究に関して十分な経験を持つ研究者が多く在籍していたこと、研究に必要な機械設備が備わっていたことを挙げている[20]。
稲神の研究の結果、カネミ倉庫で作られた食用油(こめ油・米糠油)を製造する過程で、熱媒体油(KC-400)に含まれるPCB(ポリ塩化ビフェニル)が配管作業ミスで熱交換器の配管部から漏れ、製品のライスオイルへ混入し、これが加熱されてダイオキシンに変化したことが判明する。このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、胎児の死亡、顔面などへの色素沈着や肌の異常、頭痛、手足のしびれ、肝機能障害などを引き起こしたと結論づけられた[21]。
カルピス研究所の所長へ転職
食品製造工学講座の基盤づくりの最中、稲神は教授在職4年でカルピス食品工業の研究所長として同社からスカウトされ[22]、1970年(昭和45年)にカルピスへ転職する。これに続き、技官の伴野昭夫、翌年には古賀友英がカルピス研究所に転出した[13]。九大の食品製造工学講座は創設期に教授・助手・技官を欠くこととなり、大きな打撃を受けた[13]。
1973年(昭和48年)4月には、50歳でカルピス研究所所長を兼務しながら同社の常務取締役へ就任する[23]。稲神は、カルピスを発明した三島海雲が全財産を投じて設立した三島海雲記念財団の副会長にも就任した[24]。1983年(昭和58年)4月、厚生省医薬品政策懇談会委員となる。その後、カルピス社を退社するが、食品栄養学の権威として、度々新聞へ寄稿していた[25]。
この他、日本食品工業学会副会長などを務め、晩年まで食品評論家として活躍している[14]。会社を退社した後、静岡県熱海市で暮らしていた[25]。2022年(令和4年)6月5日、死去。享年99歳[2]。
主な著書
- 知って得する・食べもの学, 朝日新聞社, 1993年5月
- すぐに役立つ・アレルギー食品学, 朝日新聞社, 1994年5月
- 食べ物と健康ホントの話 : あなたの知識間違っていませんか, 梧桐書院, 1997年
- 「おいしさ」をつくる科学, 柴田書店, 1999年9月
- 子どものアレルギー体質は母親がつくる : 知らずに食べているから恐い, 青春出版社,1999年11月
脚注
- ↑ 食品会社要覧 1973年版, 食品新聞社出版部, 1973『(東京研究所長)稲神馨 大12・3・19生 九大農学部農芸化学科卒』
- 1 2 『2022年度(第12事業年度)事業報告書』15頁, 公益財団法人 三島海雲記念財団, 2023年, 『2022年6月5日に財団の元副理事長並びに学術委員の稲神馨氏がご逝去されました。』
- ↑ 酪農事情 56(659), 酪農事情社 編, 1996年3月『稲神馨著「知って得する最新食べ物学」(朝日新聞)氏は九州大学名誉教授、栄養学者としての肩書で各種の新聞や(略)』
- ↑ カネミ油事件研究 22頁, 九州大学医学部皮膚科教室『食品製造工学の専門家である稲神教授とその協同研究者によって、ある患者家族が使用したカネミ・ライスオイルの中に、大量の PCBs が含まれていることが発見されたのである。』
- 1 2 読売年鑑 昭和45年版, 読売新聞社, 1969『稲神馨 いながみ かおる 新見市 九大農学部教授 九大農学部農芸化学科』
- 1 2 高梁高校同窓会 東京支部だより 第30号 18頁, 2018年7月『S15卒 稲神馨』
- 1 2 官報 1942年10月27日 597頁
- ↑ 官報 1942年11月21日 423頁
- ↑ 日本紳士録 第60版 別冊付録, 交詢社出版局 編 帝国地方行政学会, 昭和45年『東京研究所長 稲神馨 大12岡山,昭20九大,昭45入』
- ↑ 農業技術研究所報告 C (4) 病理・昆虫, 農林水産省農業環境技術研究所, 1954年3月
- ↑ 日本科学者総覧 昭和28年版, 日本学術会議 編 日本学術出版連盟, 1952
- ↑ 日本化学総覧:科学技術文献速報 2(26) 国内化学編, 日本科学技術情報センター 編, 1953年8月
- 1 2 3 4 5 『九州大学百年史 第6巻 : 部局史編Ⅲ』 第18編 生物資源環境科学府・農学部・農学研究院 252頁, 九州大学
- 1 2 青春出版社『子どものアレルギー体質は母親がつくる|青春出版社』1999年11月5日。https://www.seishun.co.jp/book/9107/。
- ↑ 明石昇二郎 『黒い赤ちゃん-カネミ油症34年の空白』 講談社 2002年 p.132
- ↑ カネミ油事件研究 17頁, 九州大学医学部皮膚科教室『早速、稲神教授に研究班に加わるように頼まれたのであった。稲神教授は即答を避けられたが、数時間後、ライスオイルを分析するための小さい化学分析グループを作ってはと、勝木教授に対し助言されたのであった』
- ↑ カネミ油事件研究 18頁, 九州大学医学部皮膚科教室
- ↑ カネミ油事件研究 20頁, 九州大学医学部皮膚科教室
- 1 2 3 カネミ油事件研究 20-21頁, 九州大学医学部皮膚科教室
- 1 2 3 4 カネミ油事件研究 21-22頁, 九州大学医学部皮膚科教室
- ↑ カネミ油事件研究 23頁, 九州大学医学部皮膚科教室
- ↑ カルピスの戦略 (ヘビーブランドシリーズ) , 大谷進 著 読売新聞社, 1974『食糧化学工業科の稲神馨教授を現役からスカウトして所長に迎え(中略)現東京研究所の稲神馨所長である。従来も小規模な研究所のわりには、人材は優秀』
- ↑ 全国食品業者名鑑 1975 東日本編.東京・製造, 食品新聞社出版部, 1975
- ↑ 1992.09.07 日本食糧新聞 『食の文化と企業財団 9 三島海雲記念財団』
- 1 2 1999.03.04 朝日新聞社 東京朝刊4頁 オピニオン『食品汚染論議は数値に埋没するな 稲神馨(論壇)』
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