穂苅寿彦
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1998年、JRA競馬学校騎手課程を14期生として卒業し和田正道厩舎所属騎手としてデビュー。同期には池添謙一、白浜雄造らがいる。3月2日JRA史上38人目となる初騎乗初勝利を挙げ幸先のよいスタートを切る。なお地方競馬では1999年12月15日には浦和競馬場で初騎乗し7着、初勝利は翌2000年1月25日に同競馬場で記録している。
しかし1998年4月11日中京競馬第4競走でスイートコーンへ騎乗の際、減量に失敗し負担重量51キログラムを超過してしまう。そのため前検量時に故意に装着馬具の一部を外し計量[1]するも、レース後同馬が6着となったため後検量の義務が発生し[2]前検量時の不正が発覚、注意義務を怠ったとして開催日9日間(約1か月)の騎乗停止処分となる。
これ以降騎乗機会は減少し1年目の騎乗数は100を下回る結果となり、減量騎手の恩恵を受けられる3年間は騎乗機会に恵まれずに終わる。その後平地競走への騎乗は減少、障害競走中心の騎乗となるが、2006年と2007年の新潟ジャンプステークスを連覇するなど活躍していた。
2012年6月16日、福島競馬場での競走中に落馬し負傷[3]。以降は競走に騎乗することなく、同年11月30日付けで騎手を引退[4]。同年10月より所属する[5]新開幸一厩舎で調教助手になる[4]。その後2018年3月に新規開業した田中博康厩舎に転じ、レモンポップなどを手掛ける[6]。
おもな騎乗馬
- ディバインシルバー(2002年栗東ステークス)
- ストームセイコー(2006年新潟ジャンプステークス)
- ミヤビペルセウス(2007年新潟ジャンプステークス)
- ヴリル(2008年障害オープン、東京ハイジャンプ2着)