立山通り
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太平洋戦争中に不二越鋼材工業(現・不二越)の山室工場が1944年に竣工することに伴い、同工場と本社工場を結ぶ道路として、軍部の命令で富山地方鉄道立山線(現・富山地方鉄道不二越線)と現在の高原町交差点を結ぶ道路として開通したのが始まりである[1]。
その後、戦災都市復興計画の一環として、大泉地区の区画整理に合わせて、この道路を西方向に延伸して有沢橋に繋げた[1](1956年度着工、1966年3月30日に有沢橋右岸詰めから都市計画街路堀川線を結ぶ延長1,750m、幅員22mの道路が小泉線として開通[5])。同区間の着工以降、中市交差点 - 中川原間の1,030 m(幅員16 m)が開通[1]し、1962年度から中川原地内の富山県道178号流杉双代線交点から大日橋左岸までの延長3,200mの用地買収に入り着工[4]、1966年8月10日に完成した。これにより先に完成していた1,400m、小泉線1,750m、大泉地区都市改造事業の1,050mと併せ、有沢橋と大日橋を結ぶ総延長7,400mの道路として全線開通した[4]。