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有沢橋

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国 日本の旗 日本
交差物件 神通川
用途 道路橋
有沢橋
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 富山県富山市
交差物件 神通川
用途 道路橋
路線名 富山県道62号富山小杉線
管理者 富山県富山土木センター
開通 1972年(昭和47年)
座標 北緯36度40分48秒 東経137度11分45秒 / 北緯36.68000度 東経137.19583度 / 36.68000; 137.19583 (有沢橋)
構造諸元
形式 トラス橋[1]
材料 鋼
全長 457.4 m
幅 20.5 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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富山県道62号標識

有沢橋(ありさわはし、ありさわばし)は、富山県富山市の神通川に架かる橋梁。富山県道62号富山小杉線の道路橋である。上流にある婦中大橋が架るまでは国道359号の橋でもあった[2]。また、国道359号指定以前は富山県道7号富山八尾線の橋であった[3]。

富山市市街地と富山市西部地区、呉羽南部地区並びに、射水市小杉地区を結ぶ経済活動を支える重要な橋である。1日の交通量は約39,000台で、神通川に架かる橋では中島大橋、婦中大橋に次いで3番目に多い[4]。

橋は、長さ457.4 m、幅員は上下線の完成時期が違うため、片側2車線ずつに分離されており、幅員は上流側が6.0 m(車道幅5.5 m)、下流側が10.75 m(車道幅7.0 m、自転車歩行者道幅3.25m[5])で歩道は下流側のみに設置されている。[1]

現橋の上流左岸堤防には、1918年(大正7年)に架橋された木橋の橋台跡が残っている[6]。

沿革

  • 1892年(明治25年)6月 - 戦国時代から使われていた有沢の渡しを継承する形で長さ184間、幅員2間の木橋を架設[2]。
  • 1910年(明治43年) - 台風で橋を流失[7]。
  • 1914年(大正3年)8月13日 - 豪雨による神通川の大増水のため、橋が袂30間を残して崩壊[8]。
  • 1915年(大正4年)8月27日 - 崩壊した橋の改修工事が竣工し、一般の通行が許可される[9]。
  • 1926年(大正15年) - 長さ474.1 m、幅員4.2 mに改修[2]。
  • 1938年(昭和13年) - 永久橋架け替えのための事業着手[10]。当時の工費は14万円[11]。
  • 1942年(昭和17年) - 戦時中の資材難のため、下部構造が完成したところで工事中止[10]。
  • 1951年(昭和26年)4月16日 - 改めて起工式を挙げ、横河橋梁製作所(東京)の手によって、ワーレン鋼製の永久橋架橋が計画され、7月25日に着工[10]。
  • 1952年(昭和27年)6月2日 - 長さ457.4 m、幅員6.0 mの77スペンのワーレン鋼製橋に架け替え。総工費は59,538,000円[11]。なお、この時点では両端はまだ木橋であった[4]。
  • 1961年(昭和36年) - 豪雨で木橋部分の一部が流失したため、改修[4]。
  • 1962年(昭和37年) - 改築着手[12]
  • 1964年(昭和39年) - 全橋永久橋化[13]
  • 1969年(昭和44年)8月31日 - 富山大橋の橋脚沈下による交通量増大により、同日午後に橋面に亀裂が入り、直径約40cmの穴が入った[14]。
  • 1970年(昭和45年) - 上記に伴い、この年から修復工事を実施。幅員を拡げて片側に3.25mの自転車歩行者専用道路を設ける[12]。
  • 1972年(昭和46年) - 橋脚3基を補強工事を1973年(昭和48年)9月5日までに実施、床板も20 cmに厚くして、20 tの重量に耐えられる様にした[12][5]。
  • 1973年(昭和48年)9月5日 - 北側(下流側)に幅員10.75 mの新橋を設置、4車線となる[2][5]。
  • 2004年(平成16年)11月8日 - 下流側の耐震補強工事着工。橋脚の交換などの耐震補強を実施[15]。
  • 2005年(平成17年)7月15日 - 下流側の耐震補強工事完了[15]。

有沢橋を題材とした作品

脚注

関連項目

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