毛利元就はこの好機に援軍を送り込み、大友勢を筑前、豊前から駆逐しようとするが、大友勢は戸次鑑連ら3人の家老がこれを防ぐべく、1568年(永禄11年)4月より毛利方の重要拠点となった立花山城に攻め寄せた。3ヶ月に渡る攻城戦の末に内応者の出た立花山城は陥落し、立花鑑載は自害している。しかし、毛利元就も次男吉川元春、三男小早川隆景、重臣宍戸隆家らを送り込むとともに、肥前の龍造寺隆信と連携し、大友方への圧力を強めるとともに、翌1569年(永禄12年)4月には立花山城に攻め寄せた。一方の大友宗麟は叛旗を翻した筑前国衆の秋月氏を攻め、筑前国衆の動揺を鎮めようとしたが、その間に立花山城は再び陥落して毛利元就の治めるところとなった。