世間の評判も非常に良かったが[3]、天暦元年(947年)に流行した疫病にかかり、祖父・忠平や左大臣に昇進した直後の父・実頼に先立って早世した。死後東国より敦敏のために献上された馬が届き、それを知った実頼が悲嘆の歌を詠んだという[4]。
敦敏から見れば、菅原道真を失脚させた藤原時平は大伯父であると同時に外祖父にあたる。時平の血を引く者は多くが短命であり、それは道真の怨霊によるものだと喧伝されたが、敦敏も例外ではなかった。
藤原北家の嫡男でありながら、祖父や父達の影に隠れ政治的には目立たなかったが、『後撰和歌集』に和歌が1首残っている[5]。