童貫

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童貫
太尉・領枢密院
出生 生年不詳
開封府
死去 1126年
海南島付近
道夫
主君 徽宗欽宗

童 貫(どう かん、? - 1126年)は、北宋末の政治家軍人宦官道夫開封府の出身。去勢され男性機能を失ったはずの宦官でありながら、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした体躯で顎鬚まで生えていたという怪人物[1]

書画骨董の目利きであったことから徽宗に気に入られ、宰相蔡京と結託して権勢を極め、また兵法にも凝っていたため禁軍の頂点に君臨し、20年近く兵権を掌握した。しかし、徽宗の贅沢を助長させたため民衆からは怨嗟の対象とされ、蔡京や花石綱等で江南の民を疲弊させた朱勔中国語版李邦彦中国語版王黼梁師成中国語版と共に「六賊中国語版」の一人に挙げられた。また軍費を着服し、私腹を肥やしていたという。後の北宋末を舞台にした小説『水滸伝』でも四奸の一人とされ、悪役になっている。

軍事的な手腕と生涯

参考・引用文献

脚注

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