1126年
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できごと
- 春:宋の首都開封で、李綱将軍の復権を求める学者と農民の抗議運動が、政府軍と散発的に衝突した。
- 1月18日:宋の徽宗が長男の欽宗に皇位を譲った。24年間の統治だった。徽宗は太上皇となった。
- 宋金戦争。金軍は春節の2日後に黄河に達した。宮廷職員や市民、商人、開封のユダヤ人等が南に逃げた[1]。
- 1月31日:金軍は開封を包囲し、欽宗は賠償金を支払い降伏した。欽宗は宋北部の県の防衛を命じた。
- 2月18日:フルメツの戦い。ボヘミア公爵のソベスラヴ1世が、ロタール3世 (神聖ローマ皇帝)率いるドイツ軍及び黒オットー2世率いるモラビア軍の連合を破った。その後ソベスラヴ1世はボヘミア公国を統治した[2]。
- 3月8日:ウラカ (カスティーリャ女王)が17年の治世の後亡くなった。21歳の息子のアルフォンソ7世 (カスティーリャ王)が後継者となった。
- 3月31日:トリポリ伯国のポンスが、ベッカー高原の入り口をオロンテス川から守るラファネア要塞を攻撃した。この要塞はかつて祖父のレーモン4世 (トゥールーズ伯)が支配していた。包囲は18日に及んだ[3]。
- 夏:ビザンツ帝国のヨハネス2世コムネノスが1082年の条約を再確認し、ハンガリー王国及びヴェネツィア共和国との敵対関係が終了した。ビザンツ帝国はゴルバツを獲得し、スレム及びドナウ川を回復した。また、ヴェネツィア共和国に新たな商業特権を与えた。
- 夏:アルフォンソ1世 (アラゴン王)とナバラ王国が、ムラービト朝が統治するアンダルシアのグラナダを襲撃した。
- 10月上旬:アンティオキア公国をボヘモンド2世が継承した。彼はオトラントから24隻のノルマンの軍船と多くの兵馬と共に航海した。彼はサン=シメオン港に上陸し、アンティオキアに歓迎された[3]。
- 12月13日:ハインリヒ9世 (バイエルン公)の死去を受けて、ロタール3世 (神聖ローマ皇帝)はバイエルン公国のハインリヒ10世 (バイエルン公)を後継者とした。
- スウェーデンのラグンヴァルド王が地方のディング(会議)で激高した小作人に殺害された。スウェーデンに統治者が不在となったが、マグヌス1世 (スウェーデン王)がイェータランドの統治権を主張した。
- ヘンリー1世 (イングランド王)が2番目の妻のアデライザ・オブ・ルーヴァンにシュルーズベリ城を与えた。城の司令官はウィリアム・フィッツァランが任命された。
- 南ラナークシャーのラザーグレンが、スコットランド初の勅許自治都市の1つとなった。
- 靖康の変が起き、金が北宋を滅ぼす。翌年北宋皇帝の弟趙構が南京(現在の商丘市)で南宋を立てる
- 千葉城を建てる[4]
- イングランドの哲学者であるバースのアデラードが、フワーリズミーの算術と天文学の著書をラテン語に翻訳した。
- 沈括と蘇軾の薬学の本が1冊にまとめられた。
- タラゴナ大司教のオレガリウスが、カタルーニャのムラービト朝と戦うために、タラゴナ騎士協会を設立した[5]。