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雲龍院

京都府京都市東山区泉涌寺山内町にある寺院。泉涌寺別院 From Wikipedia, the free encyclopedia

雲龍院(うんりゅういん)は、京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派の別格本山の寺院。総本山泉涌寺の別院。山号は瑠璃山。本尊は薬師如来。総本山泉涌寺の南隣にある。

所在地 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36
位置 北緯34度58分37.7秒 東経135度46分48.4秒
山号 瑠璃山
概要 雲龍院, 所在地 ...
雲龍院
龍華殿
所在地 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36
位置 北緯34度58分37.7秒 東経135度46分48.4秒
山号 瑠璃山
宗旨 古義真言宗
宗派 真言宗泉涌寺派
寺格 別格本山、泉涌寺別院
本尊 薬師如来
創建年 応安5年(1372年)
開山 竹巌聖皐
開基 後光厳天皇
正式名 瑠璃山雲龍院
札所等 西国薬師四十九霊場第40番
泉山七福神巡り第5番(大黒天)
文化財 本堂、絹本著色後円融院像、法華経(開結共)10巻(泉涌寺・雲龍院共有)(重要文化財)
公式サイト 雲龍院
法人番号 7130005002220 ウィキデータを編集
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書院の「悟りの窓」
霊明殿
庭園

歴史

当院は、南北朝時代の応安5年(1372年)に北朝の後光厳天皇の勅願により、竹巌聖皐を開山として創建された[1]。その後、康応元年(1389年)には後円融天皇により本堂「龍華殿」が建立されている[1]。また後小松天皇、称光天皇も当院を崇敬し、四天皇崩御の後は後山に御分骨所が営まれている[2]。

応永12年(1405年)の盂蘭盆会の夜に諸堂が焼失したが、応永35年(1428年)頃には再建されている[1]。

文明2年(1470年)には応仁の乱に巻き込まれて全焼し、後光厳天皇、後円融天皇の尊像を残すのみとなるほどの被害を被っている。しかし、文明14年(1482年)には後花園天皇の十三回御国忌が行われていることから、この頃には当院は復興されたようである[1]。

文亀2年(1502年)に後柏原天皇より御黒戸御殿を下賜されると、妙法修殿と称して写経の道場とした[1]。

江戸時代初期、如周宗師が隣接したいた龍華院を当院に併合する[1]。

この話を聞いた後水尾天皇により当院は造営費を寄進され、写経道場が再建された。また、寛永19年(1642年)は後円融天皇二百五十回忌となることから、後水尾天皇より写経会に要する仏具百余点も寄付されている[1]。

その後も当院は折々に御下賜金を賜って諸堂の修理が行われ、鎮守堂や鐘楼などの再建がなされ、東西に僧坊を設けて諸方より各宗の人達が集まって研鑽を励み多くの俊英を輩出した[1]。

江戸時代末期には玄関、方丈、勅使門を皇室より賜り、次いで歴代の御尊牌を奉安する霊明殿も1869年(明治2年)に再建された[1]。

境内

文化財

重要文化財

その他

前後の札所

西国薬師四十九霊場
39 醍醐寺 - 40 雲龍院 - 41 正法寺
泉山七福神巡り
4 泉涌寺塔頭来迎院 - 5 雲龍院 - 番外 泉涌寺本坊

所在地

  • 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36

アクセス

脚注

参考文献

外部リンク

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