竹本綱太夫門弟見立角力

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四代目竹本綱太夫門弟見立角力

竹本綱太夫門弟見立角力(たけもとつなたゆうもんていみたてずもう)は、嘉永3年(1850年)3月に四代目竹本綱太夫が板行させた自らの門弟の見立番付・一覧表[1]

『増補浄瑠璃大系図』が云う「綱太夫内」の広がりを表している。「初代政太夫事播磨少掾門弟京初代式太夫系譜の続猪の熊綱太夫より飴屋綱太夫是三代なり四代吉兵衛綱太夫五代隼人綱太夫六代太市綱太夫是を号て綱太夫内と云なり[2]

抱き柏に隅立て四つ目は竹本綱太夫の定紋

後見 :竹本綱太夫四代目竹本綱太夫

行司 :竹本老松軒

 同 :竹本千賀太夫…竹本播磨大掾の弟子から三代目竹本住太夫の門弟を経て、四代目竹本綱太夫の門弟となった人。初代豊澤團平の養父。

 同 :竹本因太夫

頭取 :竹本泉太夫…三代目竹本綱太夫の門弟。通称を和泉平といった人。

 同 :竹本直嶋太夫

 同 :竹本住太夫…三代目竹本住太夫竹本播磨大掾の門弟。

勧進元:竹本紋太夫…五代目竹本紋太夫

差添人:竹本筆太夫…三代目竹本筆太夫。『浄瑠璃大系図』の作者にして天保の弾圧に立ち向かった人。木谷蓬吟 『浄瑠璃研究書』「天保の芸人弾圧と快漢竹本筆太夫―太夫は何人、役者は何匹と云うた時代―」に詳しい。[3]

大関

東大関:竹本津賀太夫…二代目竹本津賀太夫。後の竹本山城掾(山四郎)

西大関:竹本むら太夫…四代目竹本むら太夫(都むら太夫)

関脇

東関脇:竹本茂太夫…陸奥茂太夫とも名乗る。後の七代目竹本氏太夫。五代目豊澤廣助の父。

西関脇:竹本春太夫…五代目竹本春太夫竹本摂津大掾三代目竹本大隅太夫の師匠。

小結

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脚注

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