竹本義明
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北海道函館市生まれ[2]。1967年に北海道函館中部高等学校を卒業し、1972年に武蔵野音楽大学音楽学部器楽科を卒業して、名古屋フィルハーモニー交響楽団に入団した[2]。
1989年に交響楽団を退団して名古屋芸術大学非常勤講師となり、1992年に助教授となった[2]。
1994年には、古楽器修得を目的として、イギリスの王立音楽大学への研究留学した[2]。
1999年に教授に昇任し、2001年に音楽学部長、2004年に副学長(学校法人名古屋自由学院理事、評議員)、2007年に学生部長、2009年に生涯学習センター長などを歴任し、2010年に学長となった[2]。
この間、2007年に武豊町民会館館長、2014年に名古屋フィルハーモニー交響楽団理事、2016年に春日井市文化振興審議会会長など、学外でも多くの役職を歴任した[2]。
2010年4月、名古屋芸術大学学長に就任[1]。学部の統合など一連の制度改革を牽引した[3]。
2023年4月、名古屋芸術大学において、次期学長候補者の選考委員会が開かれた。学校法人名古屋自由学院理事長の川村大介は同大学非常勤講師の來住尚彦を推薦し、大学教職員側は作曲家の宮川彬良を推薦した。川村と竹本の間で意見が対立し、同年5月9日、名古屋自由学院は、「心身に故障を抱えている」として竹本に「職務執行停止命令」を出した。竹本は職務を解かれ、学内への立ち入りも禁止された[4]。
同年8月22日、竹本は名古屋自由学院や川村らを相手取り、学長職務執行停止の無効や慰謝料など1100万円の損害賠償を求め名古屋地方裁判所に提訴した[5]。2024年4月1日、來住尚彦は大学学長に就任した[6]。
2025年1月27日、名古屋地裁は、医師の診察結果などから、竹本に精神疾患などをうかがわせる言動はなかったとして、55万円の支払いを命じた。竹本は任期満了により2024年3月31日に退任していることから、命令の無効確認の訴えは退けた[7]。
おもな著書
- 実践アートマネジメント:地域公共ホールの活性術、レイライン、2010年
脚注
- 1 2 “名古屋芸大グループ通信 13”. 名古屋芸術大学 (2010年6月13日). 2026年1月28日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 “竹本 義明”. researchmap. 科学技術振興機構. 2024年6月10日閲覧。
- ↑ “大学力 名古屋芸術大学”. 朝日新聞 DIGITAL. 朝日新聞社. 2024年6月10日閲覧。
- ↑ 関口威人 (2024年5月17日). “【独占インタビュー】作曲家・宮川彬良が憤り、語る「名古屋芸術大学」のセクハラ疑惑と学長選考問題の本質”. Yahoo! JAPAN ニュース. LY Corporation. 2024年6月10日閲覧。
- ↑ “学長が突然“出入り禁止”に…「ヒロアカ」作者ら輩出の大学で何が”. 毎日新聞 (2023年8月22日). 2026年1月28日閲覧。
- ↑ “名古屋芸術大学次期学長にセクハラ疑惑。学生有志「厳正な処分」訴えも大学は否定”. 美術手帖 (2024年3月29日). 2026年1月30日閲覧。
- ↑ “名古屋芸大前学長への名誉毀損認定 運営法人らに55万円支払い命じる 名古屋地裁”. 産経新聞. (2025年1月27日). https://www.sankei.com/article/20250127-YATM7YPZHFIB7POVKWGGH7MIF4/ 2025年1月27日閲覧。
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