竹田こもちこんぶ
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昔から自己顕示欲こそ強いものの、内向的だった竹田は高校を卒業間近、漠然と人からチヤホヤされるようなアイドルになりたいと思い明治大学文学部の英米文学専攻へ入学後、芸能界への近道として演劇研究部に所属した[2][3]。のちの夫となる主宰が立ち上げた劇団「電動夏子安置システム」へ参加し、主にコメディを演じてきた[2][3][4]。
大学3年時にバセドウ病へ罹患、息切れの他に眼球が異常に突出する症状により外見が大きく変わってしまい周囲からの視線に耐えられず、ほぼ1年間は精神科へ通うか引きこもっていた[2][3][5]。当時の竹田に母は「人が幸せでいられるのは外見じゃない」と諭し続け、自分もそんな心の支えである母になりたいと考えていた[2][3]。甲状腺の肥大を薬で制御できなくなり局所麻酔での切除手術を受け、苦しむなら自分で選んだ道で苦しみたいと思うようになり、価値観を変えるきっかけとなった[3]。
アルバイトで食い繋ぎながら芝居に打ち込んでいた30代の頃、キングオブコントへの出場を勧められたのが芸人の道を選ぶ転機。ちぇんちぇんとコンビ「魚眼姫」を組んでいた。マイナスをプラスに変えて人を笑わせることにカルチャーショックを受け、事務所への所属を目指してオーディションライブに出演し続けるも(本人曰く年齢を鯖読みながら出ていたこともあったが)度重なる落選に遭い、34歳の時に落選した際には一度芸人を挫折し、長男の出産時期も重なったためこれを機として育児に専念する。しかし表現したい欲求は収まらず、R-1ぐらんぷりなら年に一度だけだから子供がいても何とかなると思い出場を始める。「竹田こもちこんぶ」という芸名はその時に出来たという。そして悩んだ結果、子育てと同時に芸人を続けることにした[2][3][6]。