笠岡市立笠岡小学校

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笠岡市立笠岡小学校(かさおかしりつ かさおかしょうがっこう)は、岡山県笠岡市笠岡にある公立小学校

過去の名称 §沿革節参照
国公私立の別 公立学校
設置者 笠岡市
学区 笠岡市の一部
笠岡市立笠岡小学校
校門前より(2006年4月撮影)
過去の名称 §沿革節参照
国公私立の別 公立学校
設置者 笠岡市
学区 笠岡市の一部
併合学校 笠岡市立笠岡東小学校
笠岡市立笠岡西小学校
笠岡市立今井小学校
校訓 敬いあう 助けあう 励みあう
設立年月日 1873年(明治6年)3月
共学・別学 男女共学
一貫教育 小中一貫教育(連携型)
学期 3学期制
所在地 714-0081
岡山県笠岡市笠岡字小丸1870番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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本項では、かつて校地にあった小田県庁及び敷地内にある貫閲講堂についても解説する。

学校行事

1798年に開校した敬業館[注釈 2]を元とする学校。1873年敬業校として開校した。一時期は笠岡市立笠岡西小学校と笠岡市立笠岡東小学校に分かれたが、1968年に再び統合。そして現在に至る[1]

場所は笠岡市の中心部にあり[2]、周辺には笠岡市役所笠岡駅笠岡シーサイドモール笠岡湾などが存在する。

校地はかつて小田県庁があった場所にあり、門などが残されている。詳しくは§小田県庁跡を参照。

笠岡市立大井小学校笠岡市立笠岡西中学校とともに小中一貫教育を2023年度より行っており、3校を指す愛称は「笠岡西学園[3]

学校規模としては令和6年度時点で適正規模で、今後統合される予定はない[4]

小田県庁

小田県庁1871年から1875年まで存在していた小田県県庁。現在では小田県庁跡として笠岡市指定史跡になっている[6]

今現在では門と石碑のみが残されている。以前は堀があったが[6]、1999年頃に笠岡市の土地区画整備事業により埋め立てられ「小田県庁門せせらぎの道」となっている[7]

門は都宇郡妹尾村にあった戸川陣屋長屋門を転用しているため、軒丸瓦紋様戸川氏家紋である三本杉がそのまま残されている[6]

沿革

本校は1798年に開校した敬業館を前身並びに元とする。敬業館とは、庶民を対象とする教諭所であり、小寺清先を初代教諭とした[8]。1873年には本校は敬業校として創立される。しかし、敬業館は1883年に閉鎖となった[8]

その後は、いくつかの改名を経て1899年に笠岡尋常高等小学校に改称する。同時に笠岡女子尋常高等小学校も併せて開設された[1]

国民学校令を経て、学制改革が行われた時に笠岡男子国民学校笠岡東小学校笠岡女子国民学校笠岡西小学校にした[1]

しかし、1968年に2校は統合。昔に戻るように笠岡市立笠岡小学校が開校された[1]。そして、2023年の笠岡市立今井小学校の統合を経て現在に至る[9]

年表

《主な出典:[1]

  • 1873年明治6年)3月 - 敬業校として創立される。
  • 1878年(明治11年)1月1日 - 笠岡小学に改称する。
  • 1890年(明治23年)10月1日 - 笠岡尋常小学校に改称する。
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 笠岡高等小学校に改称する。
  • 1899年(明治32年)4月1日 - 笠岡尋常高等小学校に改称し、笠岡女子尋常高等小学校も併せて開設する。
  • 1941年昭和16年)4月1日 - それぞれ笠岡男子国民学校笠岡女子国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - それぞれ笠岡町立笠岡東小学校笠岡町立笠岡西小学校に改称する。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - それぞれ笠岡市立笠岡東小学校笠岡市立笠岡西小学校に改称する。
  • 1968年(昭和43年)4月1日 - 笠岡東小と笠岡西小を統合し、笠岡市立笠岡小学校となる。
  • 1974年(昭和49年)4月1日 - ことばの教室を開設する。
  • 1977年(昭和52年)4月1日 - きこえの教室を開設する。
  • 2023年令和5年)4月 - 笠岡市立今井小学校を統合する[9]。また、笠岡市立大井小学校笠岡市立笠岡西中学校との小中一貫教育を始める。

校歌

作詞を井上孝治郎[注釈 3]、作曲を新田左武郎が担当し、歌詞は3番まで存在する[1]

教育方針

校訓

敬いあう 助けあう 励みあう[10]

学校教育目標

人間尊重の精神を重んじ、豊かな創造力とたくましい実践力をそなえた心身ともに健全な児童の育成に努める[1][11]

学校経営目標

学校教育目標の実現を目指し、仲間とともに挑戦し成長する、知・徳・体の調和のとれた児童の育成を図る[1]

めざす学校像

  • 魅力・活力ある学校[11]
  • ひとつにまとまる「チーム笠小」[11]

めざす児童像

  • 仲よく助け合う子供[11]
  • よく考え工夫する子ども[11]
  • 元気で粘り強い子ども[11]

めざす教職員像

  • 協働する教職員[11]
  • 高め合う教職員[11]
  • 信頼される教職員[11]

貫閲講堂

貫閲講堂(かんえつこうどう)は、笠岡小学校内にある講堂

概要

笠岡市立笠岡小学校内にある。現在は老朽化により使用不可となっている。かつては、誰でも許可を取れば使用可能であったが、前述の理由により閲覧のみが可能となった。

延床面積は約233坪で、収容人数は3,200人。

名前の由来は漢文の「松柏緑貫四時閲千載」に由来する[12]

料金は昼は2,850円、夜は3,460円、1日で6,310円となる[13]

歴史

1942年昭和17年)7月8日に建設された。講堂の建設費用は当時の価格にして77,550円[注釈 4]であり、建設費用のほとんどを佐藤貫一が寄付した[14]

かつては公民館や市民会館の立ち位置として、市民にも成人式などで使用されていたが、1974年に笠岡市民会館が建設された後は、同小学校の式典にて使用された[14]

2019年度から2020年度にかけて行われた調査の結果、柱のほとんどが白蟻による被害を受けていたことが判明。2019年8月よりは立ち入り禁止となっている[14]

現在では保存会が保存に向けて、署名活動が行われている[15]

建設様式・評価

山陽新聞社の報道では「地方のモダニズム建築の先駆」[16]や「当時の学校建築では近代的な様式は希少」[17]などとの評価がされている。

建物はトラス構造やモダニズム建築などの建築様式を使用しており、南欧モダニズムの影響を受けているとされている[18]。なお、新古典主義の影響を受けたとする記事もある。この建築様式は、山口県岩国市にある岩国徴古館と類似する[12]

舞台の奥には御真影が置かれていた棚が残されている。御真影奉遷所は戦後、連合国軍総司令部によって解体命令が出されていたが実際は解体されていない。理由は不明だが、朝日新聞では撤去の手が届かなかったと推測されている[12]

児童数

笠岡市立笠岡小学校 児童数推移
年度児童数出典備考
2009年(平成21年)308人[19]
2010年(平成22年)293人
2011年(平成23年)262人
2012年(平成24年)252人
2013年(平成25年)231人
2014年(平成26年)234人[4]
2015年(平成27年)225人
2016年(平成28年)220人
2017年(平成29年)235人
2018年(平成30年)231人
2019年(令和元年)240人
2020年(令和2年)258人
2021年(令和3年)248人
2022年(令和4年)254人
2023年(令和5年)279人今井小学校を統合
2024年(令和6年)276人
2025年(令和7年)265人[20]

学区・進学先

学区

笠岡市のうち、笠岡(200番地以降のみ)、中央町園井今立馬飼広浜が対象である[21]

進学先中学校

公立の中学校に進学する場合、笠岡市立笠岡西中学校に進学する[22]

関係者

教職員

  • 守谷吾平(実業家、1887年6月から1888年5月まで教諭として勤務)

出身者

学区の主な施設・周辺

交通

関連項目

脚注

外部リンク

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