笠岡港
岡山県笠岡市の港
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概要
歴史
現在の笠岡地区は、良質な港町を形成し、中世には村上水軍が城を築き、行き交う舟の監視にあたり、戦国時代には毛利氏が、江戸期時代には水野氏、その後は天領として幕府が、ともに力を注ぐ物流港であった。また、笠岡諸島や四国、金毘羅への連絡港として重要な役割を果たしてきた。
当時の港には、「笠岡の港」(現: 笠岡市笠岡)と「金の浦の港」(現: 笠岡市金浦)[3]があり、両港を連絡する陸路としては、東西に抜ける浜街道(備中浜街道)と呼ばれていた旧鴨方往来が通り、港から山間部に向けては、備中松山や成羽を経て吹屋に抜ける魚仲仕の道、魚道(ととみち)と呼ばれた旧成羽往来が旧山陽道(西国街道)の矢掛宿に向かい、高山市 ‐ 東城を経て出雲国、出雲大社に抜ける雲州街道と呼ばれた旧東城往来が旧山陽道(西国街道)の七日市宿に向かい、備後府中 ‐ 上下を経て石見国、石見銀山街道と呼ばれていた旧石州街道が旧山陽道(西国街道)の高屋宿 ‐ 神辺宿に向かい、陸海ともに交通の要衝として栄えた。
しかし、戦後は笠岡湾干拓事業により航路が狭小となったことや、船舶の大型化により、港の機能は衰退していく。高度経済成長に伴い、港湾機能の近代化が必要となったことから、「瀬溝港」と「神島外港」を笠岡港に編入するとともに、港町地区に新港を建設し、従来の笠岡地区は旅客船基地として、港町地区は貨物船基地として、機能を分担している。

