第2艦隊 (アメリカ軍)

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創設 1950年2月-2011年9月30日
2018年5月-
タイプ 艦隊
第2艦隊
創設 1950年2月-2011年9月30日
2018年5月-
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
軍種  アメリカ海軍
タイプ 艦隊
上級部隊 アメリカ艦隊総軍
基地 ノーフォーク海軍基地
渾名 2F
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第2艦隊(だい2かんたい、: United States Second Fleet)はアメリカ海軍のナンバー艦隊(序数艦隊、ナンバード・フリート)のひとつである。

第2艦隊の担当海域には、北極から南極、およびアメリカ合衆国からヨーロッパ西岸にわたる、大西洋の約9,840km²にわたる領域が含まれている。また、第2艦隊の実質的な運用範囲はこれだけに留まらず、2008年7月1日にカリブ海および中南米海域における海軍部隊として第4艦隊が再創設されるまでは[1]南米の大西洋岸、および中米西岸の一部でも運用されていたこともある[2]

1943年創設の第7艦隊、1946年創設の第6艦隊に次ぐ歴史を有するナンバード・フリートとして知られていたが、2011年9月30日をもって、国防予算縮減に向けてのコスト削減などを理由として、上級部隊である艦隊総軍に吸収・解消される形で一時解散した[3]

2018年5月4日、第2艦隊の再編成が発表された[4]

2019年5月29日、第2艦隊が初期作戦能力を獲得したと発表された[5]

2019年12月31日、第2艦隊が完全作戦能力を獲得したと発表された[6]

1947年から現在

第2艦隊の起源は1945年の12月、第二次世界大戦後の海軍再編成における、マーク・ミッチャー中将を司令官とする第8艦隊の編成まで遡る。1947年1月、第8艦隊は "Second Task Fleet" と改称された。3年後の1950年2月に部隊は "U.S. Second Fleet" と(現在の名称に)再び改称された。

1962年10月、ジョン・F・ケネディ大統領キューバ危機において第2艦隊を派遣し臨検を実施させた。一ヶ月以上にわたり第2艦隊はキューバの北東で活動し、多くの船を停船させ禁止品の検査を行なった。20年ほど後、ロナルド・レーガン大統領は再び第2艦隊を西インド諸島へ派遣したが、この時はグレナダ侵攻作戦でグレナダへの侵攻を率いたものである。部隊を率いる上で、第2艦隊司令官 (COMSECONDFLT) は第120統合任務部隊 (Joint Task Force 120) の司令官 (CJTF 120) となり、空軍陸軍海軍海兵隊から参加した部隊を指揮した。砂漠の盾作戦および砂漠の嵐作戦の際は、南西アジアに展開された海軍艦艇の半数以上に第2艦隊は訓練を施した[7]

2005年までは、第2艦隊司令官は大西洋打撃艦隊司令官 (COMSTRIKFLTLANT) として、NATOの大西洋連合軍最高司令官 (Supreme Allied Commander Atlantic, SACLANT) の指揮下において、常任の役割を与えられていた。NATOの大西洋における支配への攻撃を防ぎ、これを守ることを主な任務とする多国籍軍を、大西洋打撃艦隊司令官は指揮した。大西洋における制海権を確立し維持するという点で、大西洋打撃艦隊司令官の役割はNATOの海における後方連絡線の保全を確かにすることであった。部隊を提供した国には、ベルギーカナダデンマークドイツオランダノルウェーポルトガルスペインイギリス、アメリカが含まれた。変革連合軍 (en:Allied Command Transformation) が編成され、また部隊設立の理由でもあったソビエト連邦の脅威が全般的に消失したため、2005年2月22日/2005年6月24日に大西洋打撃艦隊の中核は解隊された。これは2006年に、Combined Joint Operations from the Sea (CJOS)、Center of Excellence (COE) という枠組みにとって代わられた。

現在の運用

所属任務部隊

脚注

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