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第96歩兵師団 (ドイツ国防軍)

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1939年9月25日、師団は当初、第5師団としてツェレ近郊のベルゲン(ニーダーザクセン州)ドイツ語版で組織された[1]。しかし当初の人員不足などもあり、1940年8月から1941年2月まで第96歩兵師団は活動を休止していた[1]。 師団は当初、チェコ製の兵器を装備し、人員は第XI軍管区に加えて第VI、第II、南方軍集団からも抽出されていた。1941年以降からは、師団にドイツ製の兵器が配備された。師団は1939年11月1日には実戦に出られる状態となっていた。歩兵連隊の第13中隊は迫撃砲中隊として編成されていた。

西方戦役

編成が完了した師団は、1939年12月、ライン川上流域へ移動し、ドイツ西部の国境地帯を確保した。5月10日には対仏戦に参加し、アルデンヌ地方からスダンを経由してランまで進撃した。その後、師団は南下し、マルヌ川ロワール川を渡りブールジュまで進軍した。1940年8月から1941年2月の間、師団は休暇をとり、1941年4月2日、歩兵連隊の第13中隊は第246歩兵師団から兵員を抽出し歩兵砲中隊に再編された。その後、しばらく師団はフランスに駐留していた。

東部戦線

1941年7月に師団はバルバロッサ作戦に参加し、ヴィリニュスジスナ川オポーチカを経て、イリメニ湖西方の地域に進軍した。8月にはルーガでの戦闘が続いた。9月、師団はイジョラ川を渡りレニングラード目前のネヴァ川まで進出しレニングラード包囲戦に参加した[2][3]

1942年、師団の歩兵連隊は6個大隊編成に縮小された。1941年10月から1942年2月にかけて、シュリッセリブルクラドガ湖南のトスナ川河口、ヴォルホフ川での戦闘に参加した。1942年12月から1943年2月まで、師団は第三次ハリコフ攻防戦に参加し、ラドガ湖の南岸、ネヴァ、スシンジャウィノ高地、ポポシュチェ・コーロンでの包囲戦に参加した。

1943年末まで師団は、ヴォルチョフとティゴダで防衛戦を行い、1944年1月にウクライナに移送され、シェペトフカ-スタルコンスタンチノフ地区に配備された。3月から12月にかけて、フベ・コールドンで撤退戦が続き、カメネツ=ポドリスキー包囲戦に加わった[3]。1944年6月に包囲戦で消耗した部隊の立て直しを図ったのち、この年の残りはベスキディ山脈で過ごしている[1][3]。スカラを経由してタルノポール地区への大損害を伴う撤退戦や、タルノポール・レンブルグ間の滑走路を巡る攻防戦に参加した。レンベルクとサノクの南側の地域を経由して、年末までにタルノウの南東にある小ベスキッドに退却した。

1945年1月、師団はハンガリーへ移動し、グラン川河口以西の南進作戦に参加した。その後、ドナウ川南方での防衛戦が続き、師団は包囲された。3月に包囲網を脱した師団はドナウ川を渡り、西のプレースブルグ(現:ブラチスラヴァ)へ撤退した。その後、ウィーンを北上し、ニーダーエスターライヒヴァルトフィアテルドイツ語版フライシュタットドイツ語版地区などに駐留し、終戦を迎えた[3]終戦時に師団はニーダーエスターライヒでアメリカ軍に降伏したが、師団の一部は後に赤軍へ引き渡された[1]

構成

第96歩兵師団の構成[1]
1939年11月1944年7月
第283歩兵連隊第283擲弾兵連隊
第284歩兵連隊第284擲弾兵連隊
第287歩兵連隊第287擲弾兵連隊
第196砲兵連隊
第96フュージリア大隊
第196偵察連隊

歴代師団長

所属していた著名人

脚注

参考文献

外部リンク

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