第五十八号駆潜艇
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| 第五十八号駆潜艇 | |
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艤装中の第五十八号駆潜艇 (1943年12月20日 新潟鐵工所新潟工場) | |
| 基本情報 | |
| 建造所 | 新潟鐵工所新潟工場 |
| 運用者 |
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| 艦種 | 駆潜艇 |
| 級名 | 第十三号型駆潜艇 |
| 建造費 | 2,921,600円(予算成立時の価格) |
| 艦歴 | |
| 計画 | マル急計画 |
| 起工 | 1943年6月5日 |
| 進水 | 1943年10月30日 |
| 竣工 | 1944年1月26日 |
| 最期 | 1945年5月22日沈没 |
| 除籍 | 1945年8月10日 |
| 要目(竣工時) | |
| 基準排水量 | 420トン |
| 全長 | 51.00m |
| 水線長 | 49.0m |
| 垂線間長 | 46.5m |
| 最大幅 | 6.70m |
| 深さ | 4.65m |
| 吃水 | 2.63m |
| 機関 | 艦本式23号乙8型ディーゼル2基 |
| 出力 | 1,700hp |
| 推進 | 2軸 |
| 速力 | 16.0ノット |
| 燃料 | 重油 16トン |
| 航続距離 | 14ノットで2,000カイリ |
| 乗員 | 定員73名[注釈 1] |
| 兵装 |
40口径8cm高角砲 単装1基 13mm機銃 連装1基 九四式爆雷投射機2基 爆雷36個 |
| 搭載艇 | 短艇2隻 |
| レーダー | 22号電探1基 |
| ソナー |
九三式水中聴音機1基 九三式水中探信儀1基 |
第五十八号駆潜艇[注釈 2](だいごじゅうはちごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第二十八号型駆潜艇の最終艇(31番艇)とされているが、海軍省が定めた艦艇類別等級では第十三号型駆潜艇の46番艇[注釈 3]。基本計画番号K8Bによる駆潜艇の建造は本艇を最後として終了し[注釈 4]、以後の建造は簡易化をさらに推進した基本計画番号K8C(第5341号艦型)に移行した。
マル急計画の第440号艦型19番艇、仮称艦名第458号艦として計画。1943年6月5日、新潟鐵工所新潟工場で起工。8月31日、第五十八号駆潜艇と命名され、第十四号型駆潜艇の40番艇に定められ[注釈 3]、本籍を呉鎮守府と仮定。10月30日進水。11月1日、艤装員事務所が新潟鐵工所新潟工場内で事務を開始[1]。
1944年1月26日竣工し本籍を呉鎮守府に、役務を呉鎮守府警備駆潜艇にそれぞれ定められ、佐世保鎮守府佐世保防備戦隊に編入。31日、兵力部署第一護衛部隊に編入。2月11日、軍隊区分機雷部隊に編入され、第十八戦隊の護衛に従事。奄美大島方面で行動。27日、悪石島で対潜掃蕩に従事。
4月1日、北大東島で陸軍徴傭船南丸が被雷沈没したため、対潜掃蕩に向かう。現地到着後は第49号駆潜艇と共同で3日まで対潜掃蕩に従事し、加計呂麻島瀬相港へ回航。10日、佐世保防備戦隊が解隊され、佐世保鎮守府隷下に新編された第四海上護衛隊に編入[注釈 5]。ただし本艇は6月19日まで第十八戦隊の護衛を継続[2]。
6月10日、連合艦隊作戦指揮下に編入[3]。軍隊区分機動部隊補給隊警戒部隊に配置。第十八戦隊の護衛終了後は基隆で補給を行いダバオへ回航[2]。以後タウィタウィ島、タラカン島方面の船団護衛に従事。7月25日、Z258船団(6隻)を護衛しダバオ発。船団は1隻を失ったが27日、サンボアンガ着。28日、C294船団(4隻)を護衛しサンボアンガ発。31日、セブ着[4]。
8月9日、マタ26船団(24隻)を護衛しマニラ発。17日、高雄着[5]。8月20日、タモ23船団(14隻)を護衛し高雄発。26日、門司着[5]。8月、佐世保鎮守府作戦指揮下に編入され修理と整備を行う。
10月10日、往航船団の護衛を終え那覇に在泊中、十・十空襲に遭遇し被爆損傷。佐世保、次いで鎮海へ回航し修理を行う。
1945年1月から佐世保-奄美大島間の護衛に従事。
3月5日、軍隊区分機雷部隊に編入。12日まで大島緊急物件輸送の第十八戦隊を護衛[6]。21日、カナ101船団(陸軍徴傭船華頂山丸)を護衛して西桜島錨地発。22日久慈湾で仮泊。23日、那覇へ向け出発したが、同日アメリカ艦上機の空襲を受け華頂山丸が沈没し、本艇も損傷した。佐世保へ回航し、5月まで修理を行う。修理中の4月、第四海上護衛隊指揮下に復帰[注釈 6]。
5月10日、第四海上護衛隊は第五特攻戦隊に改編。本艇は佐世保防備隊作戦指揮下に編入。21日、第三次大島輸送隊の第173号輸送艦を第37号駆潜艇と護衛し佐世保発。同日から空襲を受け、22日に奄美大島沖で輸送艦と護衛の駆潜艇は全て撃沈された。
8月10日、第五十八号駆潜艇は帝国駆潜艇籍から除かれ、第十四号型駆潜艇から削除された。