第六天神社 (茅ヶ崎市)
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| 第六天神社 | |
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拝殿 ![]() | |
| 所在地 | 神奈川県茅ヶ崎市十間坂3-17-18 |
| 位置 | 北緯35度19分48.77秒 東経139度23分48.04秒 / 北緯35.3302139度 東経139.3966778度座標: 北緯35度19分48.77秒 東経139度23分48.04秒 / 北緯35.3302139度 東経139.3966778度 |
| 主祭神 | 淤母陀琉命・妹阿夜訶志古泥命 |
| 社格等 | 旧指定村社、神奈川県神社庁指定神社 |
| 創建 | 不詳 |
| 例祭 | 4月29日 |
| 地図 | |
第六天神社(だいろくてんじんじゃ)は、神奈川県茅ヶ崎市十間坂にある神社。神仏習合の時代には第六天社とも呼ばれていた[1]。
由緒・歴史
- 創建時期
創建時期は不詳だが、当社は文献において江戸幕府が天保12年(1841年)に編纂した『新編相模国風土記稿』に初見[注 1]されており[3]、郷土草創期である江戸時代初期の創建といわれている。一方で、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には当地である「十間坂」の地名が記されており、元弘3年(1332年)に新田義貞が鎌倉攻めを行った際にその兵火の祝融にあったとも伝わっていることから、鎌倉時代の創建とも考えられている[1][4]。
- 神仏分離と祭神の変更
江戸時代まで当社は金剛院(現在も茅ヶ崎市南湖に所在)の守護神とされてきたが、1872年(明治5年)に行われた神仏分離によって茅ヶ崎市十間坂の鎮守となった。またその際には祭神も他の多くの第六天神社と同じく第六天魔王(他化自在天)から変更され、現在の淤母陀琉神・訶志古泥神(天神七代の神々の内、『古事記』における第六代の神)となっている[3][4]。なお、『日本民俗学 No.127』によると、『新編武蔵国風土記稿』より三百二十余社、『新編相模国風土記稿』より百四十余社、『増訂・豆州志稿』より四十余社の「第六天神社」が確認できたとあるように江戸時代末までは関東を中心に多くの第六天神社が存在したが、神仏分離によって多くの神社が改称あるいは他の神社に合祀されたか相殿や末社となっており[2]、神奈川県神社庁の『かながわの神社・ガイドブック』(1997年、かなしん出版)によると、現在でも「第六天神社」の社号が残る神奈川県神社庁下の独立神社(宗教法人格を持つ社)は当社を含み二社のみとなっている[1][3][注 2]。
- 旧社格制度と神社庁の指定神社として
当社は地方公共団体による幣帛の供進を受けており、1939年(昭和14年)には「指定村社」に列格している(社格制度は太平洋戦争後に廃止)。1951年(昭和26年)の宗教法人法制定以降は神社本庁に包括所属している。なお、当社は茅ヶ崎市で唯一の「神奈川県神社庁指定神社」(献幣使参向神社、近代社格制度における郷社待遇)となっており、県内におよそ千二百ある神社の中でも有力神社の一つに数えられる[4]。
- 本殿幣殿の造営
1992年(平成4年)に現在の本殿幣殿が造営された。この際に当社の神殿は修復などを施した上で、境内社「八坂神社」の社殿となっている(詳細は後節を参照)。
