笹垢離
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石造物
歴史
登山記より
羽倉簡堂『東游日歴』(1827年登山)には以下のようにある[5]。
中宮八幡堂から笹垢離まで二里とし、笹垢離には役行者の祠があるとしている。そして笹垢離から半里の距離で御室大日堂(一の木戸)に着くとしている[6]。
原得斎『富嶽行記』(1828年登山)には以下のようにある[7]。
中宮八幡宮御馬返し女人堂新小屋大もみ笹垢離不動尊
このように、中宮八幡堂以降の重要な経由地であった[8]。
絵図より
「富士山禅定図」(18世紀後半成立、各版元[9])や「富士山表口絵図」(1758年以降成立)には「タキ本」とある。「富士山社堂行所図」(1758年以降成立)や「天保国絵図駿河国」(1838年成立)には「瀧本不動」とある[10]。また「駿河国富士山表口全図」には「笹ゴリ」とある[11]。
以降、明治時代の登山記や登山案内図に確認される[12]。
