筋骨めぐり
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江戸時代に飛騨街道の宿駅・金山宿が存在し、金山村の周辺にはそれぞれ尾張藩、苗木藩、郡上藩(後に旗本遠藤氏知行地)、飛騨高山藩(後に天領)という、異なる4つの領主に分かれていた地域の宿場で大変栄えていた。
飛騨街道は住人以外の人間や荷車の往来が激しく危険なため、建ち並ぶ民家の隙間に生活用として人が1人通れる程度の道幅の裏道がたくさん作られ、筋や骨が複雑に絡み合う人間の体に例え「筋骨」と名付けられた[1]。現在でも筋骨はここに住む人々の近道として活用され、生活に密着した共同通路である。
なお、この狭い路地は、かつては国が所有する国道であったが、後に主要道と区別され法定外道路となり、下呂市が発足した2004年(平成16年)から市の所有・管理となっている。
筋骨周辺には、明治~昭和時代の木造家屋が数多く残っており、昭和へタイムスリップしたようなレトロ感ある街並みを歩くことができる。 飛騨街道と劇場通りのあいだを横切る筋骨エリアは地下空間で、街道沿いに建ち並ぶ家々は表からみると2階建て、裏の地下空間から見上げると地下室のある3階建ての構造になっている。地下から湧き出た清水が豊富で水場が多数存在する。
明治初期に建てられた通し柱がない木造3階建ての旅館「清水楼」(廃業)や昭和の銭湯「旭湯」(廃業)、江戸後期に建てられた奥飛騨酒造資料館などがある。また、古墳時代の両面宿儺や伊能忠敬の「飛騨測量始め地点」がある飛騨と美濃の境界にあたる境橋などもある。
歴史
アクセス
周辺
ギャラリー
参考文献
- 金山町誌編纂委員会『金山町誌』下呂市、2005年
- 続金山町誌編集委員会『続金山町誌』下呂市、2005年

