築土神社
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| 築土神社 | |
|---|---|
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拝殿 | |
| 所在地 | 東京都千代田区九段北1-14-21 |
| 位置 | 北緯35度41分46秒 東経139度45分0秒 / 北緯35.69611度 東経139.75000度座標: 北緯35度41分46秒 東経139度45分0秒 / 北緯35.69611度 東経139.75000度 |
| 主祭神 | 天津彦火邇々杵尊、平将門[1] |
| 社格等 | 旧村社 |
| 創建 | 940年[1] |
| 別名 | 築土明神 |
| 例祭 | 9月15日[1] |
| 地図 | |
築土神社(つくどじんじゃ)は、東京都千代田区九段にある神社である。通称、築土明神。
創建時の祭神・平将門に因み、武勇長久の神社として親しまれ、千代田区北の丸公園にある日本武道館の氏神でもある。
毎年正月に授与される勝守(かちまもり)は有名。
歴史
江戸時代の文献によると、当社内には平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが安置されていたといわれ、数ある将門ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていた。明治に教部省の指示により将門は相殿に格下げされ、現在は天津彦火邇々杵尊が当社の主祭神となっている。
戦災で当社が焼失するまで、将門の首を納めたという首桶[注釈 1]、将門の肖像画(束帯姿)、木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていた。昭和20年4月、戦災により社殿とともにそれらは焼失し、現在は一部の写真が残るのみである。
拝殿の装飾や絵馬などには、巴紋のほか平将門に因んだ繋ぎ馬(つなぎうま)の紋が使用されている。これは神社境内にある天水桶(文政元年)の彫刻を模したもので、築土神社の登録商標である(平成23年現在)。
- 天慶3年[2](940年)6月、江戸の津久戸村(上平川村[3]、現:千代田区大手町一丁目将門塚付近)に平将門の首を祀り、塚を築いたことから「津久戸明神」として[2]創建されたという。
- 室町時代[注釈 2]に太田道灌により田安郷(現:千代田区九段坂上)へ移転させられて以降は「田安明神」とも呼ばれ[3]、日枝神社、神田明神とともに江戸三社の一つにも数えられることもあった(江戸三社のうち、日枝神社、神田明神以外は固定していない)。
- 元和2年(1616年)に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地(現:新宿区筑土八幡町)へ移転し[3]、「築土明神」と呼ばれた。
- 明治7年(1874年)天津彦火邇々杵尊を主祭神として「築土神社」へ改称する。
- 300年以上の間、筑土八幡神社と並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼し、1954年、現在の九段中坂の途中にある世継稲荷境内地へ移転した。
- 平成6年(1994年)、境内地にオフィスビルを建設するとともに、鉄筋コンクリート造の社殿を新築。
- 平成18年(2006年)の築土祭では、安政6年(1859)の神田明神以来、実に147年振りに神輿渡御行列の江戸城入りを果たしている。
祭事・年中行事
- 9月15日の例大祭に至る一週間の行事を「築土祭」と呼び、節目の年には神輿渡御などが行われる。
氏子地域
文化財
所在地・交通
東京都千代田区九段北1-14-21
- 九段下駅下車すぐ
