紀海音
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大坂御堂前雛屋町西南角の老舗の菓子商鯛屋善右衛門の次男として生まれる。
少年期から青年期にかけて、正確な記録は残っていない。若い頃は、京都宇治黄檗山萬福寺の悦山に師事して僧となり、高節と号した。悦山に「舌頭湧出海潮音」と評され、これが「海音」の号の由来とされる。
その後、還俗して大坂で医師となり、和歌を契沖に、俳諧を安原貞室に、狂歌を兄に学んだ。1707年(宝永4年)から1723年(享保8年)頃まで大坂豊竹座の浄瑠璃作家として活躍し、竹本座の近松門左衛門と対抗していた。しかし、1723年(享保8年)浄瑠璃作者を引退する[2]。それ以降は俳諧と狂歌に専念した。1736年(元文元年)には法橋に叙せられている。
晩年は俳諧と狂歌関係者との交友が深く、公卿の厚遇も得たという[3]。