紅療法

From Wikipedia, the free encyclopedia

山下紅療法本院広告。1928年(昭和3年)『朝日新聞』掲載

紅療法(べにりょうほう)は、明治から昭和初期にかけての日本で流行した、民間療法療術)のひとつである。患部に染料のを塗ることで、各種疾患が治療できると主張された。

施術

紅療法には、紅花の溶液とそれを塗るための毛筆ないし小刷毛、押し広げて摩擦するための摩擦棒を用いる。紅花の溶液は、生紅(紅花からつくった染料)を水で溶いてつくる[1]。紅療法の創始者である山下常行の療院で、実際に施術を受けた『朝日新聞』の西村眞次[2]、療院の助手の弁として、紅療法でつかわれる薬液は日本紅とサフランを混ぜたものであると報告している[3]

施術は、患者を椅座ないし端座させ、患部に毛筆ないし小刷毛で紅花の溶液を塗布し、塗布面を塗擦棒で3分から4分ほど摩擦しておこなう[4]。ここでいう「患部」は「病根たる大本の神経の弱所」のことであり、体表部のどこかとなる[5]。前頭部に施術する場合は、塗擦棒ではなく指頭をもちいる。これにより皮膚と毛細血管から紅花の成分が吸収されるという。これを3回ほど繰り返したのち、温水ないし石鹸水で溶液を拭い去ると、施術が完了する[4]。また、山下常行の療院では、紅を落とす前にシャンペンサイダーの饗応があった[3]

原理とその評価

紅花溶液には酸素が蓄えられており、これを溶液の塗布を通じて体内に取り込むことであらゆる疾患を治癒することができると主張されている[6]。これは、山下常行の同郷であり、医学および応用化学に関する知識のあった山内啓二が創出した理論である[7]。また、農学者・貴族院議員の玉利喜造は、紅療法には体の各部に潜在する霊気の一種である「元気」の剥落を防ぐ効果があると論じた[8]。大正期のオカルティストである高橋五郎は、紅療法を太霊道リズム学院健全哲学院プラナ療法静坐法・木村天真派などと並ぶ、霊術のひとつとして紹介している[9]

なお、紅療法の施術を受けた西村は、仮に紅療法に神経痛などの治療効果があるとすれば、「塗擦」と称しておこなわれるマッサージの効果ではないかとしたうえで[3]、紅療法には初期に標準医療を受けていたであろう疾患の治療の期を失わせてしまう消極的弊害、塗擦により皮膚病などがむしろ悪化してしまう積極的弊害があると論じ、また、「年頃の男女が肌を脱てこつこつと紅を塗れ風呂場にて洗い落とさるる時の如き」ことには風紀上の問題もあると主張している[10]

病理学者の山極勝三郎は「紅療法は恐らく一方の充血を他方の貧血に送りて平均せしめ或は精神上の安慰を與えて病的苦患を紛らさんとする物」と論じたうえで、療法自体には取り立てて言うほどの害はないものの、紅療法により患者が標準医療から遠ざかってしまうことは弊害といえ、上流階級までもがこのような迷信を信じる現状には問題があると論じている[11]。病理学者であり、一般書を多く記した田中香涯は、紅療法のような民間療法が多少の効果を奏するのは、精神療法的な暗示作用がゆえであると論じている[12]

医師であり小説家の森鴎外は、1916年(大正5年)の『寒山拾得』中、閭丘胤が豊干のまじないによる医術を受け入れるくだりにて、「ちょうど東京で高等官連中が紅療治や気合術に依頼するのと同じことである」と、紅療治の流行を皮肉るような比喩をしている。同じく医学者・文学者である斎藤茂吉も、評論「鴎外の歴史小説」にてこのくだりにふれ、「素問霊枢を知った賢の精神療法に頼らないというのは、現代の高官・富豪などが専門医家に頼らずに素人の濱口熊嶽などに頼るのを風刺したものでもある。これは鴎外が医家だからであろうか」と少々の解説を加えている[13][14]

歴史

出典

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI