紅葉山砂丘
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歴史
土地利用
現在の札幌市手稲区や北区に当たる古石狩湾の跡地は広大な湿地で、居住環境としては劣悪だった。その中で水害を受けにくい微高地の紅葉山砂丘には、縄文時代、続縄文時代、擦文時代そしてアイヌ文化時代にいたるまで生活の痕跡が発見され、居住環境が良好だったことが窺える。特に石狩市の紅葉山49号遺跡からは縄文時代後期の石斧、エゾシカやエゾヒグマの骨、さらに当時の発寒川の河道跡から鮭を捕らえるためのテシ(簗の一種)が出土している[2]。
明治以降の北海道開拓の中で花畔低地の浜堤列は農地化され、砂堤は畑作地帯、砂堤間の低地は水田として開発されたが、紅葉山砂丘はそのまま雑木林として残された。現在では浜堤列、砂丘ともに宅地開発されている。
